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NAPの感想、つづき

NAPのつづきを書こうと思いつつなかなかで、今頃になってしまった。
すみません。

NAPは何が良かったかというと、やはり町の地図が変わったということ。私は少し方向音痴で、部分的にしか地図が頭に入らないのだけれど、それが何か大きな広がりを持って、心の中で違った像が描き直された感じがした。
町歩きの何が楽しみかというと、やはり他にはないものを発見することだ。私は奈良人だと思っているので、観光客向けの「奈良らしさ」には関心はない。その「奈良」を打ち破る新芽のようなエナジーが、NAPの一番の魅力で、日々わくわくさせられっぱなしだった。そして、作品たちの詩的な問いは今も私を刺激し続けている。

ブログで以前取り上げられなかったけれど、今もイメージが残っているものについて少し書いてみたい。

★中尾めぐみ 「どこか」
 暗い色を使いながら、深い森のように心を落ち着かせる作品だった。一日の終わりに森を歩いて、少しずつほぐされてゆく感じ。森は得体がしれないものも奥深くに秘めているけれど、それゆえに心をそのままに包み、受け入れてくれる包容力がある。
昼から夜へ、公の世界から個人の世界へ、人間からそのままの自然へ、意識から無意識へ、そのはざまにある大気を通り抜けて、「無心」へと帰ってゆくような感じを受けた。
この世界は見えるものより、見えない大気的なものによって動いているのではないだろうか。人の心はまさにそうだし、普段意識しないで生きているが、大気的なものは絶えず動いてすべてが変化している。私自身も大気的なものを言葉で描きたいと思っているので、彼女の作品に心惹かれた。

★川野安曇 「the moist view」
 空なのか、湖なのか、とじっと観ていたのだが、いかようにも見えてくる。それが不思議だった。心の残像を描いているようにも見える。ありそうで、この世にはない場所。
会場のmeuble barは、木のぬくもりあるハイセンスで静かな隠れ家である。家具職人がマスターで、隣は工房。絵がなくても素敵な場所だが、絵が空間に一体となって息をしていたような印象が残っている。
そのなかでも、絵が物語を語るように、私の心に強く残った一枚の絵があった。湖が決壊しそうなくらい満ちていて、何があるかわからないあちら側へと溢れようとしている。空はそれを大らかに見ている。悠久の時のなかの何かとても美しい瞬間。
彼女の絵はシンプルであるがゆえに、すんなりと想像が滑り込んでゆく余白があり、心地よかった。

 川野安曇展は今、大阪で開かれています。 10/25~11/6 2kw gallery http://www.kalons.net/index.php?option=com_content&view=article&id=4078&catid=0&lang=ja

★大乗院庭園

 あいにく雨の天気だったのだけれど、しっとりしたなかで見ることができたのもよかったかもしれないと思う。中島麦展は円い窓から外を眺め、そして絵を観て、というのを何度も繰り返した。葉書のような無数の絵の重なりによって、日々を重ねる人生のことを思った。人生は旅だ。時が過ぎるのは少し切ない。でも、刹那が重なって心に蓄積され豊かになっていることに気づくときがある。それは、個性的な作品や人に向き合うときだ。違った経験をしても響きあえるものがあるからだ。
彼の作品は色彩が多く、そんな豊かさも享受できた。

 山田七菜子展のほうは、こちらはまたアバンギャルドだった。自分ももっと自由でいいのではないかと思えた。妖精たちが踊っているところに飛ぶ絵の具。これはアトリエで床に敷いていたから絵の具がついたのだと彼女は語ってくれた。汚れも時が流れないとつかない。そして、偶然の要素が必要だ。でも、そのまま会場に持ってきて、作品にしてしまうのが何より面白かった。コラージュもあまり計算がなくて、作家本人の楽しさが溢れているような感じ。穏やかな空間というわけではなかったのだが、七菜子さんのほんわかした人柄にも惹かれて、おしゃべりしてけっこう長居した。


   ★  ★  ★

 meuble bar、cafe sample、デザインワークスタジオという「場」の発見も嬉しかった。「場」がないと、生まれるべきものも生まれてこない。そこで、人と交わした温かいものはずっと私の心に残っていて、またあんな時間が来ないかな・・・とふと思っている。
 風邪をひいて、突然に私のNAPは終わってしまったことが残念だったけれど、奈良のこの新芽がこれからぐんぐん伸びてゆくシーンを見ていたいなと思う。詩と絵画・造形・パフォーマンスはジャンルが少し違っても、根本は何も変わらなくて、作家さんといると色々な刺激を受け、自分のなかに新たな芽が生まれてゆく。また、皆さん、どうぞよろしく。次の芸術祭では何かしてみたいです。
 NAPに感謝しています。スタッフの皆さん、本当にお疲れさま、どうもありがとうございました。


(たどたどしい幼稚な文章ですみません。)
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by Fujii-Warabi | 2010-10-28 02:21

Halloween

The Wembley Crownでハロウィンパーティー 19:00~
仮装してきたお客さんはドリンク10%OFFです。

http://wembleycrown.com/
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by Fujii-Warabi | 2010-10-27 16:24 | イベント

近況

約二週間前に体調を崩してから、筆が遅い。
NAPのこともつづきを書こうとずっと思っているけれど、
起きていられる時が短くて(睡眠障害で眠りっぱなし)、パソコンに向かえる時間がない。

今日は目覚めてみて、少し良くなっていることに気づいた。
ありがたい。

悪い時期でも、孤独や痛みについて色々と考えた。
身体的な障壁はそのまま心の障壁になる社会はどうか?とも思った。
辛い時期こそそれまでどのように生きてきたか、人と関係を築いてきたのかが試される。
私は幸いにして、心には救いがあった。
会いたい人がこの世にまだいて、やりのこしたことがあり、
そして文学があった。
うちからほとんど出られないので、寝転んで
『嵐が丘』を読み、キェシロフスキーの『デカローグ』を観た。

You're okay.というためには I'm okay. でなくては、
と私は力んでしまったりする。
でも、辛いときは相手が You're okay.(そのままでいいよ。) と言ってくれることが自然なのではないかと思う。
『嵐が丘』も『デカローグ』も身勝手で苦悩の多い人がたくさん出てくる。
でも、作家はそんな人物を愛しているのだ。
時代も国も隔たっていても、作品を通して、人と心が通じる、愛される、
そんな感覚が私を救ってくれる。
日常をこつこつと生きることの大切さを伝えてくれる。

私は今回の不調のなかでも、自分のことがきらいではなかった。
善悪の判断と少し距離を置くことができたのかもしれない。
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by Fujii-Warabi | 2010-10-21 13:03 | 身辺雑記

横たわった壁掛け時計

    横たわった壁掛け時計~擬態美術協会さんへのオマージュ


 〈右の時計〉

あなたとわたしが出逢ったのは
 この時間の中
わたしはあなたの美を愛したけれど
 それはわたしの美でもあった

瓜ふたつのわたしたちは数秒の違いも許せなくなり
脚を引っ張りあう

同じ場所に
二つの時計はいらないの

 〈左の時計〉

あなたと過ごす時はぼくたちのつくる時間
ぼくはきみの醜さも愛したけれど
 それはぼくの醜さでもあった

瓜ふたつのぼくたちは
共にいる理由も離れる理由もなくなり
手を繋いだまま引っ張りあう

隣で同じ鼓動を刻むのに
なぜこんなに遠い
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by Fujii-Warabi | 2010-10-15 18:07

NAPの感想

今日も秋晴れですね~。
奈良アートプロムで奈良は熱くなっています。
想像をはるかに超す面白さで、奈良が好きになってきました。
いつもとは別の町に見えます。

もう二十ヶ所廻ったでしょうか。でも、まだ足りません。全部観たいと思ってしまいます。
ここでも観た作品すべてを語りたいのですが、今はちょいと無理なので、
印象に残ったものを少しずつあげてみようと思います。

◎カイナラタクシービル

まず建物が面白い。作品はこの箱の子どもたちのよう。
奈良・盆地がテーマにされていたのですが、表現方法がみんな違うので楽しめます。

三好剛生さんのコウテイペンギンからは共生することの肯定的意味を感じ、
塚本佳紹さんの「愛と表面張力」からは芸術(あるいはその生き方)とはムーブメントと愛であるというメッセージを熱く語られたようで、とても印象に残りました。

◎藤田和孝 奈良の仏たち (修徳ビル・一階ロビー)。

私は仏像にあまり興味はないので、藤田さんの絵のほうがいいと思いました。
藤田さんの作品はどれも独自の表現で、筋の通った美を感じます。
どこまでも前衛、革新的であります。
年を重ねてもかくありたいものです。

◎擬態美術協会+鍵豪 ならまち格子の家/sample white room

うーむ。とかく凄い。
何度も観たくなる作品。観ているとどんどん姿が変わる作品。
スペース自体が芸術であり、怖いのに美しく、長居してしまいます。
そのせいか「格子の家」では「この人が作者?」という目で見られてしまいました。

二人の作品は表現方法が違う分、補完しあうかのように見事にマッチしています。
格子の家では、鍵さんの作品から音と強烈な光、擬態さんのほうは静寂です。
sampleでは、擬態さんが青白い光とへんな音、鍵さんは赤い光と闇です。

時間を忘れてさせるような空間、
それでいて実にリアル。
擬態さんの格子の家の作品は、離れていれば視覚的な美(それもナチズムのような美)を感じるのですが、こちらに向かってくるとドキリとします。
自分が受けるのは拒絶したいものでも、他人事であるときには美しく見とれたりする、、、
人間の心の怖さを問われているように感じました。

sample のほうも、また不思議。
同じ時計二つと、レコード二つ。どちらも糸で引き合って、身動きできなくなっています。
それでも、時計さんは恋人同士のよう。愛しあっていても、うり二つの性格ゆえにうまくゆかなくなっているみたいです。
レコードさんのほうは怖い!
現代生活のように、同じ動きを延々と繰り返させられ、全曲を奏でることは許されません。
針が同じ所を通り、そこが摩耗してゆきます。
私には「痛い痛い」と聞こえてきて、糸を切りたくなりました。
(展示会が終わるまでのあと数日の辛抱よ、と心で呟きましたが、
痛みに耐えつづける「強制労働者」に、そう言うのは残酷としか言えません。
死ぬまでの辛抱よ、とさらに痛みを与えるようなものです。)

ご覧になっていない方には書きすぎ、と言われてしまうことでしょう。
すみません。

鍵さんのほうは擬態さんよりイメージ的なものを重視されているのかな、と感じました。
sampleでは下には整然と並ぶ電球たち。
上の電球は自由に下がっています。
でも、よかったのは、その間でした。 そこに何かがあって、
それは何なのか、しゃがみながらじっと考えていました。
下の電球はがっちり組み合っているので、突き上げては来ないでしょう。
上の電球が思い思いに落ちてくるのでしょうが、それはいつ、なんのためなのか?
下の彼/彼女らをガツンと割って解放するためでしょうか。
謎です。

格子の家の作品も、まだもう少し考えてみたいです。

NAPのモバイルマップはこちら
http://nara-art-prom.com/map/index.html
(ガイドマップには訂正個所がいくつかありますので、こちらをご覧ください。)

(つづく)
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by Fujii-Warabi | 2010-10-08 15:06 | イベント

『紫陽』22号

『紫陽』22号はもうお手元に届きましたか?

今回、ボリュームは控えめ。
寄稿者20名、52頁。読みやすいのではないかと思います。

☆詩作品
O柳 「赦路(しゃじ)の月」
藤井わらび 「黒い犬」
小林坩堝 「歩行訓練」
倉田めば 「水の地図」「メタポジション」
芦田みのり 「草の海」
亰彌齋 「松茸味のぜんまいは露草の涙に絆されて」
野村尚志 「なんで奈良の大仏ちごて鎌倉の大仏なんや」
武中光男 「青空」
小池栄子 「いつまでも」
竹村正人 「考察 その弐 -Yさんに」
佐藤駿司 「(孤独とひきかえに……)」「宣告」
松本タタ 「何度目かの神話」
風梨子 「駅 3」
うなてたけし 「夏季の日々」
笠原美香子 「ぞうになった海亀」
三刀月ユキ 「たべる」
石瀬琳々 「訪れ」
あおい満月 「描く」「いのちという証明」
北山兵吉 「あ~ァ」「退職を目前に」
☆俳句
志郎

☆見返しの言葉:オクタビオ・パス「二つの声のためのソロ」
☆表紙コラージュ:藤井わらび

編集:藤井わらび・京谷裕彰  発行:紫陽の会  
頒価:200円 年鑑購読料:1000円(送料込)
frieden22★hotmail.com (★を@へ換えてください)
[郵便振替口座] 00950-5-246315 [加入者名]藤井わらび

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by Fujii-Warabi | 2010-10-05 00:21 | 紫陽の会