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痛みについて


    戦  跡           井之川巨


サイパンとは何だ
玉砕とは何だ

心は逡巡したまま
ジェット機はイズリー飛行場へ舞い降りる
ロイヤル・タガホテルは
米軍上陸記念跡地に建造されたホテル
いまはアメリカ極東戦略軍将兵と
そのファミリーたちの
ウィークエンドの保養基地だ
彼らのしなやかな肉体が
ホテルの中庭に美しくスイングすると
白い水柱をあげ
爆撃弾のようにプールに突き刺さる
ホテル前の青い珊瑚礁の海を
順風にのせ
上陸用舟艇のようにヨットが編隊をくむ
水上スキーはエメラルドの海面を
鋭いナイフのように切り裂いて過ぎる
チャラン・カノアの環礁をゆくと
三十四年まえの戦車が
半身を海に沈め
静かに銃身を陸に向けている
友は
戦車のふきんに魚が多いと笑って
銛を片手に
足鰭をひらめかす

サイパンとは何だ
玉砕とは何だ

バンザイ・クリフの先端にたつと
南国の空はカーンと青く晴れあがっている
しかし
白くしぶく波は寡黙
 と吹く蕭々と吹く風はなにも語ろうとしない
一九四四年七月九日
死んでも米軍の辱めはうけないと
日本人植民者の女子供たちは
バンザイ! バンザイ! と叫び
花びらのようにこの岬に身をおどらせた
その数は千を超えたという
観光バスの年老いたガイドは
まだ遺骨の半分も収容されていませんと
上手な日本語で解説する
観光客のさらしものにされた
戦車 高射砲 機関砲 魚雷のたぐい
砲身を海に向けた高射砲の台座に
 呉海軍工廠
 大正五年
 五吋五砲
の文字が墓誌銘のように刻まれている
砲塔をのぞくと
サイパンの青空が
ぽっかりと円く切りとられて見える


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先日、パフォーマンス・アートを観る機会があった。
初めてのことで、衝撃的だった。
大橋範子さんというパフォーマーが腕を切って血を流すパフォーマンスをされていたのだが、「他者の痛みを知る」ということを最近の私はあまり出来ていなかったと反省。
私自身は二週間前に転倒してから腰が痛くて、この日は歩くのも痛いぐらい、さらにこの時期は毎年めまい・倦怠感で体調を崩す。
でも、ちょうど「痛み」について考えるべき時だと思い、一昨日辺見庸が語るドキュメンタリーを観た。そして、その中の言葉に非常に胸を打たれた。(以下、引用)

「痛みとはたとえ同一の集団で同時にこうむったにせよ、絶望的なほどに『私的』であり、すぐれて個性的なものだ。つまり痛みは他者との共有がほとんど不可能である。しかもそれでもなお、私の痛さが遠い他者の痛さにめげずに近づこうとするとき、おそらく想像の射程だけが異なった痛みに架橋していくただひとつのよすがなのである。
私たちの日常の襞(ひだ)に埋もれたたくさんの死と、姿はるけし他者の痛みを、私の痛みをきっかけにして想像するのをやめないのは徒労のようでいて少しも徒労ではありえない。むしろそれが痛みというものの他にはない優れた特性であるべきである。」
(辺見庸『たんば色の覚書 私たちの日常』より)

とても誠実な言葉である。私は虚弱であり、痛みに対して過敏な体質で、痛みを想わせるものを少し見るだけで痛くなる。だから、痛みは「個性的なもの」で「他者との共有がほとんど不可能」という言葉に救われる。痛みを酷く感じていてもいいのだ。それは弱いからとかではなく、「個性」なのである。
そして、不可能ではあるが、自分の「痛みをきっかけにして想像をやめない」ことこそが大事であり、他者の痛みを知るには気の遠くなるような困難な作業が伴うことが「優れた特性」だということに、何か自分の生の営みを肯定されるような気さえする。
厳しく優しいこれらの言葉に涙が出た。

本棚を見て、石原吉郎と井之川巨の詩集を手に取った。
どちらも戦争をテーマにしているのだが、前者はソ連の捕虜となり強制労働を強いられ極限を生き抜いたサバイバー、後者は1933年生まれの反戦詩人である。

「戦跡」は少し前の作品だが、状況は別に変わっていない。沖縄を見ていても、今も戦争は終わっていないのだといつも思う。美しい海、自然、大らかな温かい人々……と宣伝されているけれど、彼らの痛みはマスコミには載らない。自分も含めて、人は都合のいいものしか見ようとしない。
そして、それが実は自分も苦しめているということに目を閉ざしてしまうのだ。絶望すら慣れっこになっていく感性の鈍磨は、私も愛する人もこれから出会うはずの人も出会えないかもしれないけれど繋がりあっている見えない人たちも内側から壊してゆく。〈象徴の貧困〉が覆い尽くす今の時代では、これはすべての人々の病なのである。

健康な美しい腕にカッターナイフで傷を入れてゆくパフォーマンスを見せられてから、私はこんなことを考えていたのだった。
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by Fujii-Warabi | 2010-02-26 01:36 | 詩人・芸術家の紹介

芸術と交流三昧の休日

先日の日曜に奈良市内にあるギャラリーOUT of PLACEにちょっと寄りました。
二人展の最終日ということで、画家のお二人もおられて、写真を一緒に撮っていただきました。

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               右が中村一恵さん、その右側に中村さんの作品


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               藤田和孝さんと、私の好きな藤田さんの作品を囲んで


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              中村一恵さんの作品





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                藤田和孝さんの作品






 時間がなかったので、慌ただしく次の会場walhalla(ワルハラ)へ。映画『恋するシャンソン』を観るためです。最近は奈良でも映画の上映運動が盛んになってきていて、こうしてハリウッド系以外の映画を近場で観られる機会も増えてきているようです。
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 しかし、このスタジオに入ってびっくり。2階なのに、地下アジトのような雰囲気でした。確かに希少価値の付きそうな我々の集うアジトには違いないのでしょうが…。とても気に入りました。

 さらによかったのは、映画についての解説を聴けたり、語り合う場となっていること。今回は、フランス人のピエールさんが解説してくださり、その後、質問・意見交換、お酒を飲んで交流会と、ありえないほど有意義な時を過ごすことができました。

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 でも、まだ足りなくて、3次会へ。映画・芸術を愛する方々との素晴らしい出会いでした。皆さん、フランス語を話されるので、それも心地よかったです。外国語に触れることも刺激になります。といってもまったく聞き取れないので、また勉強せねば…と思いました。

 『恋するシャンソン(みんなその歌を知っている)』はスティグレール『象徴の貧困』の第二章で論じられていた作品なのですが、その話はまた次回に。
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by Fujii-Warabi | 2010-02-17 13:42 | イベント

『紫陽』19号の評

 『紫陽』19号が『詩人会議』2010年1月号、磐城葦彦氏による詩誌評で取り上げられていました。(以下、引用。)
 
 河津聖恵の「シモーヌの手」は”はるかな原初から/魂のように不器用なまま/捨てられた詩のひとふしを/ポケットの中で鳴らしている手”から始まるシモーヌのたくさんの表現上の手は極めて象徴的であり、やや長い作品なので全部は紹介できないが、”手が手であるかぎり/魂のように不器用であるのならば/もうふたたび二人の詩を/二人をへだてる深淵からこそ書き始めている/「シモーヌの手」と題する百歳のシモーヌの手”で終るまでの多様な展開がすべての手にかかわっているのは興味深かった。服部剛の「遺影のまなざし~四十九日前夜~」の作品は”小さい額縁に吸いこまれた/(もう一つの世界)から/職場の老人ホームで/お年寄りと僕が/笑って過ごしたひと時を/眺めていたように微笑する/祖母のまなざし”など祖母に寄せた思いが角連毎に描かれ、亡くなった人の骨壺の前に「ありがとう」の言葉を添えて手紙のように置くとの気持ちが、遺影との対話になってそこはかとなく漂っている。
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by Fujii-Warabi | 2010-02-17 13:01 | 紫陽の会

永遠の一瞬のために

少し前の記事になるのですが、詩人イダヅカマコトさんのブログ「ポエムコンシェルジュの選んだ一篇」に、私がこのブログで昨年5月13日に掲載した詩「落ちる瞬間」http://warabipoem.exblog.jp/11526914/を評してくださっています。

http://kotodama.posterous.com/10161213

イダヅカ氏は黒瀬珂瀾氏の「倫理や思想を語ることと文学として成り立たせることは相いれないことだ」という言葉を引用されていますが、私は普遍的な命の存在、永遠の「一瞬の輝き」を詩うことが、単純な「反抗(アンチ)」を超えたものとしてあると思っています。
それが私の思想です。
「〈象徴〉の貧困を超える」ということをこのブログでもテーマにしていますが、〈象徴〉までもがキャッチコピーとして売りつけられ、私たちの心を支配・コントロールしてゆくこの超資本主義で、いかにして〈象徴〉を生活者の手に取り戻し、命を輝かせ、自らを他者を愛してゆくのかをもっと考えてゆきたいと思います。
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by Fujii-Warabi | 2010-02-15 13:18

リンクについて

リンクを加えたり、変更したりしました。
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by Fujii-Warabi | 2010-02-06 16:36 | リンク集

冬は耳がきこえにくい。

地球は実はぐるぐる回っているし、ぐらぐら揺れている。

それを感じられるこの季節。

春先にはばりばりと心の兜が割れる音がする。

痛いけれど、それがなくては、大きくはなれない。

眩暈と胸の痛み。憂い。

そして、気狂い。

これを乗り切るために一年がある。

成果を試す時が近づいてきた。


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   難聴
                  藤井わらび


路は導火線となり
鼓膜の中で華がパチパチ鳴っている
わたしは灼熱の海に投げ出された蝸牛

携帯電話を耳にあて
結ばれるのを待っている
その大切な人は声
便器の奥から噴き出すペリカンのような

“カムカム”
             そういえばかめかめという補聴器があった
招かれても一寸先は炎
“わたしの声きこえてる?
 今月の水光熱費はらえるかしら?”
“ヒヤヒヤ、ヒヤヒヤ”
―――ここはそこよ。

せっかく見つけた魚が燃えていた


※『紫陽』16号(2008.9)より
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by Fujii-Warabi | 2010-02-06 16:16 | 藤井わらびの詩

『紫陽』20号

『紫陽』20号は先週末に発送完了しました。
もう皆さんのお手元に届いているかとは思いますが
まだの方はお知らせよろしくお願いします。

今回から表紙の色が変わりました。
以前は「藤色」だったのですが、廃盤になったそうで、
やむなく「紫」に変更しました。
絵には合っているようですが、長年馴染んだ色が頭から抜けきらず、
どんなものかと思っていましたが、少しずつ見慣れてきました。
「新しい色への旅立ち」と表現してくださった読者さんもいましたが、
この色が読者やこれからの詩にどのような影響を与えていくのかを見守ってゆきたいと思います。

以下、掲載作品です。

竹村正人   「考察 その壱 -なみちゃんに」
鈴川ゆかり  「クベース」
荒木時彦   「limited 9」
三刀月ユキ  「冬のアルゴス」
佐藤佳紀   「愛し損ねた世界を」
         「生命」
亜子米     「凩(こがらし)」
りー      「深海」
         「カルナック」
松本環子   「みどり」
あおい満月  「冷熱」
         「影のない冬」
松本タタ    「太陽神」
亰雜物     「燎原の氣」
北山兵吉   「ひとは みな…」
         「あ~ァ」
藤井わらび  「朝の夢」
風梨子     「駅 1」
小池栄子   「西日」
西きくこ     「老桜木」
石瀬琳々   「兆し」
芦田みのり  「ロンド」
Courtney Sato  「White Variations -for CMJ」
 芦田みのり訳 「白の変奏曲」

散文
うなてたけし 「〈朗読と音楽の為の物語〉たんぽぽの花」
吉岡太朗   「『ノスタルギガンテス』の読書」

俳句     志郎
 
表紙絵    奥津ゆかり
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by Fujii-Warabi | 2010-02-03 22:59 | 紫陽の会