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日曜の『紫陽』読者会

参加者の皆さん、お疲れさまでした。
『紫陽』16号の読者会も有意義で非常に充実したものになりましたね。
改めて思ったのが、ひとり一人の重さでした。一人によって一度書かれた詩をひとり一人が参加してみんなで再び創りあげてゆく感じ。もちろんそれも仕上がることはないし、その場限りのものかもしれないのだけれど。でも生まれてくる場所・瞬間は刺激的で、普段すり切れがちな心も体がいっぱいに満たされてゆきます。

さて、参加者は計10名(うち途中参加者1名)、最初に藤井貞和さんの詩を読み、その後は特集の詩論、そしてページ順に参加者の詩を味わいました。
今回の貞和さんの詩は俳句・短歌の素養がないわたしとしては難しかったですが、やはり皆さんも同じようでした。
詩論はわかりにくかった点、どういう思いで書かれたのかを筆者に問いかけながら湾岸戦争詩論争の要点、また貞和詩の魅力を語り合えたのがよかったと思います。
あとは、藤井わらび「難聴」、窪ワタル「(はこう/はんすう/はき)」、川原寝太郎「篝火を閉じた」、竹村正人「亀」「蛍」、亰雜物「未だ現れぬ一九九九年九月の壺を笑う」「二〇〇八年九月の釜、あるいは…」を読み、批評・感想を交わしました。

二次会はちちろ1階へ降り、鍋を囲んでほかほかと交流会をしました。ちちろは本当に鍋が似合う所です。でも、夜もカフェとして営業されることになり、これが最後の鍋となりました。マスターの宇多さんこれまでどうもありがとうございました。
それから何より嬉しかったことは、用事で読者会を途中抜けた方を除いた9名みんなが交流会に残ってくれたことでした。とにかく読者会も交流会も格別な楽しさがありました。余韻に今も浸り、またうちで「課題」に向き合っております。

(私は体調があまり良くなく、左耳は聞こえないし、途中で熱は出てきてだるくぼぉっとするし、で不快な思いをさせてしまったかと思います。すみませんでした。)
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by Fujii-Warabi | 2008-11-12 10:41 | 紫陽の会

パウル・ツェラン「死のフーガ」について

    死のフーガ          
                         パウル・ツェラン(1920~70)
                         飯吉光夫訳
 
夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ
ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまくない
ひとりの男が家にすむその男は蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあててきみの金色の髪マルガレーテ
かれはそう書くそして家のまえに出るすると星がきらめいているかれは
                        口笛を吹き犬どもをよびよせる
かれは口笛を吹きユダヤ人たちをそとへとよびだす地面に墓をほらせる
かれはぼくらに命じる奏でろさあダンスの曲だ

夜明けの黒いミルクぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはおまえを朝にのむ昼にのむぼくらはおまえを晩にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ひとりの男が家にすむそして蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあててきみの金色の髪マルガレーテ
きみの灰色の髪ズラミートぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまく
                                        ない
かれは叫ぶもっとふかく地面をほれこっちのやつらそっちのやつら歌え
                                      奏でろ
かれはベルトの金具に手をのばすふりまわすかれの眼は青い
もっとふかくシャベルをいれろこっちのやつらそっちのやつら奏でろどん
                               どんダンスの曲だ

夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜にのむ
ぼくらはおまえを昼にのむ朝にのむぼくらはおまえを晩にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ひとりの男がすむきみの金色の髪マルガレーテ
きみの灰色の髪ズラミートかれは蛇どもとたわむれる

かれは叫ぶもっと甘美に死を奏でろ死はドイツから来た名手
かれは叫ぶもっと暗くヴァイオリンをならせそうすればおまえらは煙となって宙へたちのぼ
 る
そうすればおまえらは雲のなかに墓をもてるそこなら寝るのにせまくない
夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜にのむ
ぼくらはおまえを昼にのむ死はドイツから来た名手
ぼくらはおまえを晩にのむぼくらはのむそしてのむ

死はドイツから来た名手かれの目は青い
かれは鉛の弾できみを撃つかれはねらいたがわずきみを撃つ
ひとりの男が家にすむきみの金色の髪マルガレーテ
かれは犬どもをぼくらにけしかけるかれはぼくらに宙の墓を贈る
かれは蛇どもとたわむれるそして夢想にふける死はドイツから来た名手

きみの金色の髪マルガレーテ
きみの灰色の髪ズラミート



※『パウル・ツェラン詩集』(思潮社、1992年)より

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「夜明けの黒いミルク」とは何ものなのか。
インパクトが強く、数日間憑かれたように考えてみた。しかしはっきりした答えは出ない。
そこで、「夜明けの黒いミルク」と中心に考えたことを取りあえず書いてみようと思う。

1)この詩が収録されている詩集『罌粟と記憶』は1952年の秋に出版されている。
ツェランは一生ナチスの強制収容所の詩を書き続けた。この詩もその一つである。
ワイマール共和制の後にナチスが台頭してくるわけだが、共和制により「ミルク」の象徴する、約束の地を手にするような豊かさがもたらされ、朝が来るはずだったのに、その前の「夜明け」にナチスによる「ユダヤ民族」絶滅(死)という「黒い」飲み物を飲まされることになった、ということか。
2)「ミルク」は生を表す白、死を表す「黒」を組み合わせたのはなぜか。
第一次世界大戦で敗れたドイツは酷い経済的不況に陥ったが、そのなかでナチスは「金色の髪」「青い目」の「ドイツ国民」に豊かさ(=「ミルク」)を約束した。だから「国民」には「夜明け」であった。「夜明けの」(白い)「ミルク」を飲むのは「国民」であり、その対比として、「黒いミルク」があり、物質的豊かさの陰にはいつも排除される者がいる、ということか。
3)「晩にのむ」「昼にのむ朝にのむ」「夜にのむ」、そして「ぼくらはのむそしてのむ」と続くが、強制収容所では死へと向かわせるものをひっきりなしに飲まされるということか。「のまされる」のではなく、「のむ」であるのは、「死を招くのはお前たちの自発的行為だ」とされているからだろうか。
「ぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまくない」――どこまでも排除され、「生」の世界からも追われていくのは今も変わりない。しかも、「自己責任」とされている。

他にもっとそれらしいいい説があると思いますので、
もし閃かれた方、ツェランをもっとよくご存じでご意見のある方、
どうぞコメントよろしくお願いします。
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by Fujii-Warabi | 2008-11-05 23:06 | 詩人・芸術家の紹介