カテゴリ:芸術鑑賞( 34 )

日曜という一日


 日曜は不思議な一日だった。

まず、友人Tとギャラリー OUT of PLACE で「しりあがり寿 わしはもう寝る展」を観る。
迷いのないラインの美しさに気づく。
絵は全国巡回しているものも合わせると千点あり、一点一点はざっくり描かれているのであろう、と推測する。だからこそ、日頃から何を観、何も想うのかが線に現れやすいのではないか、身体まではごまかせないだろうから、などと思う。

その後、隣の絵本カフェ パビリオン で、くつろぐ。
持ってきた紙とペンで、準備体操的に下手くそならくがきをする。
注文したプリンは濃厚で絶品。コーヒーと紅茶がとても美味しいお店なのだけれど、
カフェインアレルギーの私は我慢。
詩的な空間で、時間を忘れて居ついてしまいそう…。

時間に遅れそうになり慌てて、藝育カフェSankaku へ。
これがこの日の一番のお目当て。
らくがきマイスター・吉田賢司氏の「ハルヌルカク」ワークショップである。
私はワークショップなるものがかつては苦手であった。
なぜなら、幼稚園・学校の授業をつい思い出してしまうから。
楽しいことをしましょう、と上から押しつけがましくされるのが不快だった。

でも、昨年末にNAPの忘年会で、Sankakuのワークショップコーディネーター・やまもとあつし氏の話を聴いて、ここのワークショップは違う!面白そうだ!と感心し、
また、「らくがき」のワークショップなるナンセンスさに惹かれて、
参加してみることに…。
友人Tも誘ったが、着いてみるとちょっと不安になる。
なぜかというに、マイスター・吉田さんがすごく緊張していたからだ。
それをほぐすべく、私はくだらないことを言い続けたが、
あまり効果なし。  
でも、吉田さんのイラストを画用紙やフランスの書物のコピーを自由に貼り付けて、
らくがきしてゆけばいいのだから、問題はなし。

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↑かなり真剣に作業してます。
この過程で色々考えました。最初の一時間は楽しかったのに、
考えすぎてそのうち訳がわからなくなってきました。

で、2時間半ぐらいで完成したのがこれ。
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なんじゃこりゃ!であります。

左上に文字をいれなきゃいけないっていうことで、ここからおしゃれに始めたのがそもそもの誤り。
そのうち絵の力に引きずり込まれて、恐~いコラージュになってゆきました。

もちろん、出来たときは「やった!!」と嬉しかったですよ。
意味も考え、意外と細部に凝ったりしたので。
 自分はどういうものをつくりたいのか、や、物作りのアプローチの仕方などがわかってきて、今後の創作活動のためになったと思います。
もちろん、何ができて何が不得手なのかも。
発芽のような作品づくりでした。

作品はきちんと額に入れてもらいました。
うちに飾っております。恐いので天井近くに(笑)。


(ワークショップ中、相棒来る。写真は彼の撮影によるもの。)

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↑吉田賢司さんの作品。
エルンストがお好きだそう。
気さくなお人柄で、ちょっと恐い絵。面白いです。


その後は店主のやまもとあやこさんによるお菓子と珈琲でした。
これがまた凄かった! お皿にワッフルと生チョコ・生キャラメル・生クリームが置かれていたのですが、
大きなスペースがあって、ここに白・黒二本のチョコペンで絵を描いてください、と。

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友人Tはさすが「うんこ詩人」! うんこを描き始めた
と思ったら、最終的にはイモムシマンに…(本人に訊かなかったので真相はわからず)。

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私のほうは可愛らしく、かたつむりとお花です。

余ったチョコペンで、コーヒー・アートを
と思ったのですが、揺れ動いて絵が描けず、ギョウ虫状態に…。
でも、その動的な状態が面白く、
みんなで「わぁ~」と盛り上がりました。

このアート・スイーツが美味しかったのは言うまでもなく、
心も満たしてくれました。
これで二千円は安い。

吉田さんもあやこさんも褒め上手、というか感激屋で、
Sankakuさんでは、なんだかずっと嬉しかったです。
素敵な時間をどうもありがとうございました。

そして、次はギャラリー「勇齋」へ
父の古くからの友人・道北英治さんの個展を観に行きました。
(ここで、友人Uと合流。)

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実にシンプル、そして美しい作品でした。
石舞台やストーンヘンジのような、時空を超えた力を感じました。
作品はぐるっと円を描くように並べられていて、その内側に私たち人間は座っていたのですが、
祭祀場にいるかのようで。

長い年月をかけ、世間にこびずにひたむきに芸術すると
こういう作品になるのでしょう。
ブロンズでできた作品も石の重みをもっていました。

作品については、相棒の批評が的を射ていると思うので、こちらをご覧ください。
http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.com/2011/01/blog-post_17.html


道北さんは私が小さい頃から知っている方なのですが、
親元を離れて以来顔を合わせることもなく約20年の歳月が流れ、
このようなアートの世界で再会できたことがすごい驚きでした。
私は12年前まで父親以外の展覧会にほとんど行ったことがなく、
立体アートなど無縁の世界だと思っていました。
人生とはわからないものです。

人生の予想外の展開と同じく、
この日はまだ先があり、隣の酒蔵「ささや」へ。
日本酒のテイスティング、
というか、立ち飲み屋で酒の飲み比べという風情でした。

そして締めは英国パブ The Wembley Crown へ。
お菓子に酒にビールにフィッシュ&チップス等々、食って飲んで喋って、
作品づくりして、作品を観て、交流して、
帰りの電車ではOUT of PLACEのスタッフさんにたまたま出くわして、
となんとも不思議な一日でした。

奇妙で楽しい人生、万歳!
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by Fujii-Warabi | 2011-01-18 17:21 | 芸術鑑賞

浜木綿

              吉原 幸子

あなたは立っている 蒼ざめて
まるで 咲いたときから枯れているようなはかなさで
うすい夕陽の
うすい影を砂におとして

小さな島の 岩場ごしに
海鳴りをきいているのは わたし?
海風に 白いからだを
やさしく揺すっているのはあなた?

ほろびてゆく種族(いのち)の孤独を
うすむらさきの芯にあつめて

松の苗木のむごい焼けのこりや
ちらばっているあきかんなどを
柵のなかから ひっそり眺めて

あなたは立っている
まるで はじめての日から肌寒かった うすい夏に
うすい影をおとすわたしの前に


※『魚たち・犬たち・少女たち』(サンリオ出版、1975年)


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何か涼しい詩を、と思ったのですが、
結局はかない作品をセレクトしてしまいました。

「うすい」の繰り返しが効果的で、他のはかない物たちと響き合っている感じがします。
でも、これだけ淋しい言葉を集めても、絶望的ではない。
本当の孤独とはそんなものなのかもしれないと思いました。
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by Fujii-Warabi | 2010-08-20 18:04 | 芸術鑑賞

『ブライト・スター』を観て

一昨日、『ブライト・スター いちばん美しい恋の詩』という映画を観た。
『ピアノ・レッスン』の監督ジェーン・カンピオンによるジョン・キーツの伝記映画である。

まず、俳優が地味でよかったと思った。
キーツ役がもし流行りのイケメンハリウッドスターなら
この類の映画は成り立たない。
俳優の個性がきつければ、ストーリーや詩の朗読が心に迫ってこないだろう。

そして、詩の加え方もよかった。
ストーリーもわかりやすかったが、
複雑な感情が控えめに表現されていて、
佳作だと思った。

監督のキーツや詩への愛が感じられる美しい作品である。


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by Fujii-Warabi | 2010-06-19 00:34 | 芸術鑑賞

『パリ、テキサス』を観て~自己の在るべき時空を失って~

 一週間前の土曜にEU協会による上映で、ヴィム・ヴェンダース監督作品『パリ、テキサス』(1984年)を観た。まず、このタイトルが不思議だと思った。パリとテキサスが舞台なのかと思いきや、パリは全く映されない。そういえば、私が観たヴェンダースの映画二作『ベルリン・天使の詩』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』も場所へのこだわりがあったことに気づいた。
 『パリ、テキサス』は空間・時間をテーマに据えた作品だろう。主人公・トラヴィスがテキサスの砂漠で倒れるシーンから始まり、大都会ヒューストンのビル街に消えてゆくシーンで終わるのが象徴的だ。トラヴィスは最初何も語らない。そして、どこへ向かうのかもわからないまま逃れるようにして、ひたすら灼熱の砂漠を歩く。ヤクザな診療所で手当を受けるが、そこからも逃れ、迎えに来た弟のウォルターからも逃れようとする。医師は生を管理する者でもあり、弟は兄想いではあるが、宣伝の看板を描きマイホームの支払いに追われる平凡な郊外生活者なのだ。トラヴィスは彼らから逃れたいのはもっともではないか、と最後に描かれるトラヴィスの愛し方・生き様を見れば、理解できるような気がしてくる。
 では、彼はどこへ逃れたいのだろう? 彼にも具体的にはわからないのだろうが、映画の中で暗に示されているように思う。彼は言葉を回復する(記憶/自己を回復してゆく)途上に車の中で、「テキサスのパリ」を撮った写真を弟に見せる。「パリに行ったことがあるか?」というのが失語症状態の彼が発した最初の言葉で、次には「パリに行きたい」と言うのだ。この「テキサスのパリ」という小さな町・記憶は彼の父と母が結ばれた、彼の起源となる場所・時間であり、4年前に大都会ですべてを失った彼はどうやらこの小さな出発点に還ろうとしていたようなのだ。
 では、約8年分の記憶を遡り、言葉と記憶を大方取り戻した彼は、最後にヒューストンでまた一人になるが、どこへ向かうのだろう? 彼はおそらくもう「パリ」を探しはしないだろう。彼は愛する人といた時もトレーラーで放浪していた。本来的に根無し草的に彷徨う旅人なのである(それは古典的アメリカ人を象徴しているようだ)。また、これは1984年の作品なのだが、ヒッピーのいた革命の時代も過ぎ去り、あらゆるものが商品化された大量消費社会の爛熟期、もう逃れる場所はない、都市で生きるより他はない、ということを意味するのかもしれない。
 彼は「所属」から逃れつつも、責任からは逃れてはいない。彼の職業は明らかにされないほど、彼自身も重きを置いてはいないようだったが、それはこの消費社会を作る一員に組み込まれることへの拒絶でもあるのだろうし、それでは「逃走」だけなのかと言えば、関係が壊れるほどに妻を愛し、子を妻の元へと戻そうと無謀ともいえる行動を起こすように、情が深く、自分自身を求める「活動」に熱心なのだ。だからこそ、彷徨わねばならないのである。そして、そこに心の彷徨える私も魅かれるのだ。

 この作品は恐れ入るほど対比が効果的に使われている。まず、タイトルの「パリ」「テキサス」も両者のイメージはまるで逆のものだ。そして、最初のシーンの青い砂漠とクライマックスの赤とピンクの服の登場人物たち。無謀なトラヴィスと消費社会ともうまく折り合ってゆく着実な弟ウォルター、アメリカ人で若い妻ジェーンと弟の妻でフランス人で落ち着いたアン。トラヴィスとジェーンと息子ハンターという彷徨える旅人体質の家族とウォルターとアンという定住型の平凡だが温厚で家庭的な夫婦(トラヴィスの方に子があり、ウォルターに子がなく、未来を象徴する子どもは放浪者のほうを選らんだという設定が興味深い。監督の想いがここに表れているように思う)。広大な砂漠・大都市と狭い車・覗き部屋。トラヴィスは広大な場所では無口だが、車や弟の家や覗き部屋やコインランドリーといった狭い空間では話す(つまり観客が彼らの大きく重い過去を知るのは狭い場所である。ほとんどがトラヴィスやジェーンの独白となるので劇場を観ているような気分になる。覗き部屋の場合はさらにそれを覗くのだから、入れ子構造といえるだろうか)。トラヴィスはテキサスを彷徨いながらも小さなパリを探し、ヒューストンという大都市で妻という一人の女を捜す。

 恋愛、夫婦、親子といった愛の描き方もとても興味深い。こちらはこちらで重要なテーマであるし、トラヴィスは「愛の囚われ」からも逃れようとしていると思われるので、展開してみたい気がするが、今はこれ以上書くゆとりがないので、またの機会にしたい。
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by Fujii-Warabi | 2010-04-04 00:12 | 芸術鑑賞

最近観た映画~レネ、カウリスマキ、川端など

 私は元々映画好きだが、映画は視覚・聴覚を過剰に刺激して頭から離れなくなるので、少し前までは観るのを控えめにしていた。それがこのところ良質な映画を観る機会が多く、様々なことを考えさせられた。

 先月末、ベルナール・スティグレール著『〈象徴〉の貧困』で第二章を丸々割いて語られたアラン・レネ監督作品『恋するシャンソン(みんなその歌を知っている)』を観て、解説を聴き、語り合う機会があった。文化的に貧困だと思っていた奈良でも、こうした良質な映画の上映運動を地道に続けている団体があり、驚いた。
 あの後ゆとりがなくて、この映画についてここでは書くことができなかったが、誰でも観ることのできる娯楽的要素とこの社会の根底を描く深い思想を兼ね備えた優れた作品で、今も強く印象が残っている。現代を覆う「不安」とは何なのか?どこから来るのか?現代とはどういう時代なのか?この危機をどうやって超えてゆけばいいのか?を考えさせられた。芸術・文学を志す人には特に観てほしい映画である。

 先週は、フィンランドの巨匠アキ・カウリスマキ監督の映画『過去のない男』をレンタルDVDで観た。
以前カスタマーズレヴューを読んで、良し悪しを何とも判断しがたく、レンタルするには少々迷ったことがあったが、ペドロ・アルモドバルの映画『ボルベール〈帰郷〉』を観る際に、その前のCMでカウリスマキの敗者三部作と呼ばれるうちの最終作『街のあかり』が流れ、6回ぐらい再生、CMなのにハマってしまった。早速レンタルしようとしたところ、貸し出し中だったので、空いていた『過去のない男』のほうにした。
(『ボルベール』のほうはまた、アルモドバルを語る時に書きたいと思う。)

 『過去のない男』は2002年のカンヌ国際映画祭でグランプリと主演女優賞をダブル受賞した作品なのだが、「大作」と呼ばれるような映画が絶対映さないような「排除されたもの」をふんだんに描いていて、美しい。
名前も記憶も財産も失った丸裸の主人公の男が、やはり国家から見放された〈貧者〉に助けられ、少しずつ再生してゆくという物語。(フィンランドのような福祉国家であれ、人は名前とそれなりの身分を持つ「何者か」でないと、国家に暴力を振るわれるのだ。)
 しかし、人はどんな苦境でも生きてゆかねばならない。では、どうすればよいのか。カウリスマキは、希望を失わず期待しすぎず、生活のなかで共同とアイデアとユーモアを持って生きるとことを提案をしているように思えた。
 こんな映画を日本へと届けてくれる映画人が今、どれぐらいいるだろうか。私はこの一本ですっかりカウリスマキに魅せられてしまった。

 川端康成原作、衣笠貞之助監督の前衛映画『狂った一頁』(1926年)を活動弁士つきで、やはり日仏協会や京都・奈良EU協会といった映画上映運動をされている方々の主催によって、観る機会に恵まれた。
 まず、活動弁士・吉岡一郎氏が同年代ぐらい、と若いのに驚き、映画を見始めたころはこの人物が気になっていたのに、のめり込んでゆくと映画の音声となって聞こえてきたのが不思議だった。活動弁士は凄い職業だと思う。芸術・文学・歴史といった知識、詩・小説を書く才能、講談師・エンターテイナーとしての資質が要る。こういう仕事にもっと光を当ててほしいものだ。
 作品のほうも、とても革新的な内容だった。映像もどのようにして撮影されたのかわからないシーンがあったり、テーマとしても〈正気〉〈狂気〉の境目を壊すというようなものだった。
私たちは「狂人だ」と名指されることなく日常を過ごせているから、自分を「正常」だと思っているに過ぎないのだろう。誰のなかにも〈狂気〉は存在し、それは人をその人たらしめる重要な個性だと私は思っている。だから、川端が、精神病院に閉じ込められた「精神病者」への差別を描き、能の笑い面を彼らに被せ、解放で結んだことに胸が熱くなった。

 映画のことを書き出すとつい長くなる。疲れてきたので、つづきはまた数日後。
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by Fujii-Warabi | 2010-03-29 23:38 | 芸術鑑賞

藤田和孝・中村一恵展を観て

先週の土曜(16日)に奈良市内のギャラリー・OUT of PLACEに行って来ました。
今展覧会を開いておられる藤田和孝さん、中村一恵さんを囲むレセプションが夕方からあったからです。
作家さんの作品を観ながら対話できる(しかもお酒を飲みながら)というのがとても素敵な体験でした。私は人見知りもするし、「レセプションて何?」みたいな初心者ながら、場の雰囲気に酔わされ、作家さんをひっつかまえて長々と話してしまいました。
まず、OUT of PLACEというこのギャラリーがとてもいいのです。絵画が掛かっていなければ、白いのに威圧感がなく、壁は生クリームを塗ったように美味しそう。そして、作品が在るとまるで別の空間に変わるのです。オーナーの野村ヨシノリさんが柔らかでアウラを受けとめてくださる方だからでしょうか。
藤田さん、中村さんの作品もこのギャラリーにぴったりの大変詩的で、ずっと観ていても飽きることのない、様々なものを想わせる絵画でした。私は絵を観る時、その世界に入ってみたりもしますが、少し離れて、その作品の背景の物語りを考えたりもします。でも、そのためには余白のある作品でないと無理なのですが、お二人の作品は隅に詩をそっと添えたくなるような白い優しさのあるものでした。また、お二人は、私もかく年を重ねたいと思うような、創造の喜びを全身に湛えた素敵な芸術家さんでした。

OUT of PLACE  630-8243奈良市今辻子町32-2
藤田 和孝 中村 一恵 二人展
2010年1月14日(木) - 2月14日(日)
open : 木-日 12:00 - 19:00 月火水 休廊
http://outofplace.jp/G.OoP/TOP.html


追記 となりの絵本カフェ「パビリオンブックス」http://pavilion-b.com/も落ち着けるいい場所です。紅茶がとても美味しかったです。
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by Fujii-Warabi | 2010-01-22 12:02 | 芸術鑑賞

映画『マラドーナ』

映画『マラドーナ』が京都、大阪でも来月上映されます。
シネ・ヌーヴォは1/16~
京都みなみ会館は1月下旬
公式サイトはこちら
http://www.maradonafilm.com/
予告の動画もあります。かなり面白そうですよ。
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by Fujii-Warabi | 2009-12-28 16:13 | 芸術鑑賞

キューバ映画祭2009

キューバ映画祭が京都シネマにて12月12日より始まります。
一週間しかないのですが、関西でキューバの有名な映画を観られる数少ない機会ですので、映画好きの方、キューバに関心のある方にお薦めしたいです。

詳細はこちら
http://www.kyotocinema.jp/screen.html
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by Fujii-Warabi | 2009-12-01 11:18 | 芸術鑑賞

おうちしみじみ

ご無沙汰しておりました。すみません。

『紫陽』はもう印刷屋に出しまして、20日に製本作業の予定にしています。c0094173_22302386.jpg
今月中にお届けできると思います。
今回もボリュームがありますが、落ち着いた感じの作品が多く、秋の夜にぴったりなはずです。

私のほうは最近、夏の鬱の反動でハイです。
でも、短編小説を読んだり、バッハを聴いたり、詩作をしたりしています。
右の写真は『しみじみ読むイギリス・アイルランド文学』(阿部公彦編、松柏社)という短編集なのですが、読みやすくて、それでいて味わいの残る、芯のある作品ばかりです。
ちなみにどのような作品か挙げてみますと
 ベイル・ベインブリッジ/阿部公彦訳「誰かに話した方がいい」(思春期しみじみ)
 エドナ・オブライエン/遠藤不比人訳「敷物」(母親の苦労しみじみ)
 モイ・マクローリー/片山亜紀訳「奇妙な召命」(神のお召ししみじみ)
 シェイマス・ヒーニー/岩田美喜訳「清算」(母と息子しみじみ)
 カズオ・イシグロ/田尻芳樹訳「ある家族の夕餉」(ニッポンしみじみ)
 イーヴァン・ボーランド/田村斉敏訳「呼ばれて/小包/郊外に住む女-さらなる点描」(母親しみじみ)
 ロン・バトリン/遠藤不比人訳「ドイツから来た子」(転校生しみじみ)
 グレアム・スウィフト/片山亜紀訳「トンネル」(駆け落ちしみじみ)
 アンドリュー・モーション/田村斉敏訳「屋根裏部屋で」(母親しみじみ)
 アリ・スミス/岩田美喜訳「五月」(恋情しみじみ)
 フランク・オコーナー/阿部公彦訳「はじめての懺悔」(告白しみじみ)
 ヒューゴー・ハミルトン/田尻芳樹訳「ホームシック産業」(アイルランドしみじみ)

印象に残った作品は、モイ・マクローリー「奇妙な召命」、シェイマス・ヒーニー「清算」、アリ・スミス「五月」でした。「奇妙な召命」はカトリックへの批判をユーモアたっぷりに、ヒーニーの「清算」はアイルランドの歴史の複雑さを自らのこととして、「五月」は樹と女二人の奇妙な三角関係を軽快に描いています。

訳がとても良くて、解説も詳しいので、お薦めします。
アマゾンで古書なら500円ぐらいで入手可能です。

今日嬉しかったのは、ナタリー・シュトゥッツマン(声楽家)の歌う『永遠の愛~ブラームス歌曲集』を購入できたこと。
しばらく品切れが続いていたので、ずっとこの日を待っていましたemoticon-0157-sun.gif
ナタリーの歌声はどんな楽器にも優ります。
このCDは天国でも聴きたい一枚。
一日だけ他人になるなら、ナタリーになって歌いまくりたいですemoticon-0159-music.gif
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by Fujii-Warabi | 2009-09-15 22:45 | 芸術鑑賞

展覧会に、シェリーに。

『紫陽』の発送作業も終わり、心地よく一息……
のはずが、熱が出てしまって、うちでだらだらしている。
自律神経の乱れから出る熱はなかなかひかなくて悩みの種。

でも、週末「After School・放課後の展覧会」というグループ展、
そして相棒の友人の笹倉洋平ライブ・ペインティングに行く予定なので、
これまでに体調を整えねばならない。
彼のライブ・ペインティングはかなりの評判なので、
お暇な方は観に行きましょう。

最近、やっぱり英詩・アイルランド詩だ、と思い、
年初にワイルドの訳をしてみたのをきっかけに興味の向く物から読んでみている。
とはいえ、読むのが非常に遅い。
さらに凝り出したら、取り憑かれたようにずっと一つの言葉の訳を考えてしまったりして…。
今は、パーシー・ビッシュ・シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』(1820年頃の作品)の原詩。
彼は若い頃よりウィリアム・ゴドウィンなどのアナーキズムに傾倒し、
どこまでも自由を求め、愛によって世界を変えようとした詩人で、
この「プロメテウス」もそれを詩によって豊かに説いたもの。
個人の内面からの革命というところに私は共感するし、
詩にはそういう力があると信じて私は詩作している。
「ロマン派」と一括りにされ、甘ったるいようなイメージが流布しているが、
このプロメテウスは絶対神ゼウスに挑むという激しい物語りでもあり、
かなり気分が高揚する。
そう、「絶対的な権威」など存在しないのだ。
この作品は人類が誇る文学の最高峰といっても過言ではないと思う。
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by Fujii-Warabi | 2009-05-21 22:20 | 芸術鑑賞