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パウル・ツェラン「死のフーガ」について

    死のフーガ          
                         パウル・ツェラン(1920~70)
                         飯吉光夫訳
 
夜明けの黒いミルクぼくらはそれを晩にのむ
ぼくらはそれを昼にのむ朝にのむぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまくない
ひとりの男が家にすむその男は蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあててきみの金色の髪マルガレーテ
かれはそう書くそして家のまえに出るすると星がきらめいているかれは
                        口笛を吹き犬どもをよびよせる
かれは口笛を吹きユダヤ人たちをそとへとよびだす地面に墓をほらせる
かれはぼくらに命じる奏でろさあダンスの曲だ

夜明けの黒いミルクぼくらはそれを夜にのむ
ぼくらはおまえを朝にのむ昼にのむぼくらはおまえを晩にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ひとりの男が家にすむそして蛇どもとたわむれるその男は書く
その男は書く暗くなるとドイツにあててきみの金色の髪マルガレーテ
きみの灰色の髪ズラミートぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまく
                                        ない
かれは叫ぶもっとふかく地面をほれこっちのやつらそっちのやつら歌え
                                      奏でろ
かれはベルトの金具に手をのばすふりまわすかれの眼は青い
もっとふかくシャベルをいれろこっちのやつらそっちのやつら奏でろどん
                               どんダンスの曲だ

夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜にのむ
ぼくらはおまえを昼にのむ朝にのむぼくらはおまえを晩にのむ
ぼくらはのむそしてのむ
ひとりの男がすむきみの金色の髪マルガレーテ
きみの灰色の髪ズラミートかれは蛇どもとたわむれる

かれは叫ぶもっと甘美に死を奏でろ死はドイツから来た名手
かれは叫ぶもっと暗くヴァイオリンをならせそうすればおまえらは煙となって宙へたちのぼ
 る
そうすればおまえらは雲のなかに墓をもてるそこなら寝るのにせまくない
夜明けの黒いミルクぼくらはおまえを夜にのむ
ぼくらはおまえを昼にのむ死はドイツから来た名手
ぼくらはおまえを晩にのむぼくらはのむそしてのむ

死はドイツから来た名手かれの目は青い
かれは鉛の弾できみを撃つかれはねらいたがわずきみを撃つ
ひとりの男が家にすむきみの金色の髪マルガレーテ
かれは犬どもをぼくらにけしかけるかれはぼくらに宙の墓を贈る
かれは蛇どもとたわむれるそして夢想にふける死はドイツから来た名手

きみの金色の髪マルガレーテ
きみの灰色の髪ズラミート



※『パウル・ツェラン詩集』(思潮社、1992年)より

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
「夜明けの黒いミルク」とは何ものなのか。
インパクトが強く、数日間憑かれたように考えてみた。しかしはっきりした答えは出ない。
そこで、「夜明けの黒いミルク」と中心に考えたことを取りあえず書いてみようと思う。

1)この詩が収録されている詩集『罌粟と記憶』は1952年の秋に出版されている。
ツェランは一生ナチスの強制収容所の詩を書き続けた。この詩もその一つである。
ワイマール共和制の後にナチスが台頭してくるわけだが、共和制により「ミルク」の象徴する、約束の地を手にするような豊かさがもたらされ、朝が来るはずだったのに、その前の「夜明け」にナチスによる「ユダヤ民族」絶滅(死)という「黒い」飲み物を飲まされることになった、ということか。
2)「ミルク」は生を表す白、死を表す「黒」を組み合わせたのはなぜか。
第一次世界大戦で敗れたドイツは酷い経済的不況に陥ったが、そのなかでナチスは「金色の髪」「青い目」の「ドイツ国民」に豊かさ(=「ミルク」)を約束した。だから「国民」には「夜明け」であった。「夜明けの」(白い)「ミルク」を飲むのは「国民」であり、その対比として、「黒いミルク」があり、物質的豊かさの陰にはいつも排除される者がいる、ということか。
3)「晩にのむ」「昼にのむ朝にのむ」「夜にのむ」、そして「ぼくらはのむそしてのむ」と続くが、強制収容所では死へと向かわせるものをひっきりなしに飲まされるということか。「のまされる」のではなく、「のむ」であるのは、「死を招くのはお前たちの自発的行為だ」とされているからだろうか。
「ぼくらは宙に墓をほるそこなら寝るのにせまくない」――どこまでも排除され、「生」の世界からも追われていくのは今も変わりない。しかも、「自己責任」とされている。

他にもっとそれらしいいい説があると思いますので、
もし閃かれた方、ツェランをもっとよくご存じでご意見のある方、
どうぞコメントよろしくお願いします。
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by Fujii-Warabi | 2008-11-05 23:06 | 詩人・芸術家の紹介

瀧口修造のことば

自国語に甘えるな。他国語にじゃれるな。
                      ―――瀧口修造


以前から好きな言葉。
本当にそうだと思う。
瀧口さんが言うと重みが違う。
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by Fujii-Warabi | 2008-10-28 22:41 | 詩人・芸術家の紹介

火薬                      井之川巨


目を開ければ蒲団はずり落ち
冷たい月の光が
後向きに寝た女房の顔を
タイルのように白く照らす

蒲団の裂け目に手をかけ
ずりあげようとすると どうしたことか
蒲団の裂け目にはみだしているのは
綿ではない
コッペパンほどの火薬袋なのだ

マッチ一本すっただけで
ボイラーより熱くもなろうが
おれと女房の体は一瞬どこかへふっとび
どんな外科医も縫合のきかぬ
百の肉片になっただろう

おれはこうもりよりも敏捷に月の光の下をとび
昼間工事した警視庁におりたつ
そして秘密書類の脇にすえつけた
暖房用のラジェーターの下に
おれはコッペパンほどの火薬袋をしかける

おれは隣の警視庁長官室のラジェーターの下に
火薬袋をしかける
また隣のバスルームのラジェーターの下に
火薬袋をしかける
おれのしかけた火薬のために
一大音響とともに

かれらはみんな素っ裸で骨のずいまで温まり
やがて冷たくなっていくだろう
そしておれは密かに
凶悪犯人のようなほくそ笑みをもらすのだ


※『新・日本現代詩文庫17 井之川巨詩集』(土曜美術社出版販売、2003年)、詩集『おれが人間であることの記憶』「生活者のうた」(1956~74)より


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相棒の買ったばかりの詩集を取り上げて開くとこの詩が出てきた。
「おれ」は寒さのせいで目が覚める。貧乏のせいなのか「女房」との仲も冷えている。でも、唯一「おれ」の心を温めてくれるのは、「火薬」をしかける真夜中の夢なのだろう。そして、これこそが詩なのである。
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by Fujii-Warabi | 2008-08-12 16:04 | 詩人・芸術家の紹介

フランシス・ポンジュ「かたつむり」について

今日は快晴。こんな日はのんびり散歩でもしたいのですが、体調があまり思わしくありません。私の病気はどうやら慢性疲労症候群(Wikipediaに解説あり)といわれるものらしく、全身に力が入らず寝転んでばかりです。抗うつ剤に負けて以来胃腸が弱っているので、食べた後は横になって数時間消化を待たねばならない状態です。もちろんそうでもないときもあるのですが…。
治療法は確立していないのですが、内臓に負担を掛けないように菜食にし少食・朝食抜きがよいようです。たしかに空腹になると症状は出ません。不眠や微熱は治ってはいませんが、頭も体もすっきりします。

昨日、再びフランシス・ポンジュを読みました。「かたつむり」という詩がよかった。私はポンジュのなかでも「貝殻系」の作品が好きなようです。小さくてちっぽけで、普段は人間(とりわけ大人)の目に止まらない生き物ですが、その生を肯定し賛歌するという、ミクロの世界のスケールの大きさを描いているような感じがたまりません。
長い詩なので特に気に入った所を抜粋してみます。


 孤独、あきらかにかたつむりは孤独だ。あまり友達がいない。だが、幸福であるために友達を必要とするのではない。彼は実にうまく自然に密着している。密着して、完全に自然を楽しんでいる。かたつむりは、全身で大地に接吻する大地の友だ、葉の友だ、敏感な眼玉をして昂然と頭をもたげる、あの空の友なのだ。高貴、鷹揚、賢明、自尊、自負、高潔。

                   ……中略……  

 非常で緩慢な、確実でもの静かなこの前進の態度以上に美しいものはない。しかも、彼らが大地に敬意を表して、これ程みごとに滑ってゆくためには、どんな努力が払われているのだろう! 全く、銀色の航跡を引く細長い船舶そのままなのだ。特に、もう一度あの傷つきやすさや非常に敏感な眼玉のことを考えてやるならば、この前進の態度は、じつに堂々としているのだ。

                   ……中略……

 だが、おそらく、彼らは自己表現の必要を感じていないだろう。彼らは芸術家、つまり、芸術作品の制作者であるというより、―――むしろ、主人公であり、いわばその存在自体が芸術作品である存在なのだ。
 しかし、ここに、私が述べるかたつむりの教訓の主要な点の一つがある。それは彼らに特有なものではなくて、貝殻をもった生物がすべて共通してもっている教訓なのだ。彼らの存在の一部分であるこの貝殻は、芸術作品であると同時に記念碑なのだ。そして、それは彼らよりずっと永く残るのだ。

                   阿部弘一訳『物の味方』(思潮社、1971年)

 この作品が1936年、パリにて書かれたということも重要でしょう。
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by Fujii-Warabi | 2008-03-25 10:24 | 詩人・芸術家の紹介

先日の詩の朗読会

寒い。まだ2月と変わらない寒さ。
しかしどうも自律神経の調子が乱れている。春が近いということを体は知っているのだろう。

先日、友人・むらびと君宅で詩の朗読・鑑賞会があった。
(この記事を書くのが遅すぎて、先にコメントをくださっている皆さんごめんなさい。でも、コメントがあったから、この記事があるのです…。)
私が読んだ詩は、田村隆一。
田村のエッセイには凹んだときに助けられた。晩年の詩はエッセイのような調子なのだが、私はちょっと格好をつけた「荒地」時代より好きなのだ。


 1999
                  田村隆一

蟻の話をどこかで聞いた
蟻は働き者の象徴だと思いこんでいたのに
それがまったく違うのだ

たとえば
餌をせっせと運んでいるのは
十匹のうち
たったの一匹
あとの九匹は前後左右をウロウロしているだけ
さも忙しそうに
活力にあふれて
怠けているんだって

ぼくも蟻になりたくなった
九匹の蟻の仲間に入って
ときどき
観念的な叫び声をあげればいい

それにもっと驚くべきことは
蟻の睡眠時間である

たった二時間だけ目をさましていて
たっぷり二十二時間眠りこけている
「1999」

という詩集が出してみたい
もしそれまでに生きていられたら
たっぷり十八年間 ぼくは

蟻のように眠っていて
黙々と餌を運びつづける一匹の蟻の
精神異常の診断書を書いてみたい

今日の仕事はこれで終り
では
おやすみ


   夢の中の逆夢
                          田村隆一

業種別にすると
病院はサービス部門である
ベッド数も人口比にするとアメリカの四倍もあるという
家にはベッドの数が不足しているからか
ベッドがたりないくせに
ダイニングルームとキッチンだけが大きくなった
水屋がある茶室まであるくせに
夫は三畳の小部屋の小学生用の机でエズラ・パウンドの詩集に読みふけっている
夫の職業は大学の英文学の教師で
飼っていたウサギもさすがにあきれて
ウサギはウサギ小屋から逃亡してしまった
そこで英語の先生は
音楽とフランス文学に凝っている愛嬢のために
エドワード・リアの『ノンセンスの贈物』を訳してやった

 ベージング町のおじいさん
 びっくりするほど落ちついて
 馬を一頭買い込んだ
 そこで夢中で駆けだして
 故郷のひとから逃げだした

ニッポンのカマクラ町のおじいさんも
去年の秋はサービス業種である病院に逃げこんで
ウイスキーのかわりに点滴のサービスを受けたっけ
となりの部屋では飲み友だちのキツネ博士が点滴を受けていて
二人で溲瓶をぶらさげてトイレットからもどってくると
六十円の紙コップのコーヒーを飲みながら
来るべき高齢化社会の人口構成と国際経済の分析と展望について語りあったっけ
「六十五歳までを生産人口とすると……」
キツネの経済学博士がおごそかに発言すると
ぼくは思わずつぶやいた
「じゃ、六十五歳以上の人間は消費人口ということになるけど、消費するだけが生きがいというわけか。なるほど、目だけパチパチさせて、息を呼吸しているだけで、社会資本を消費するわけだからな」
キツネ博士はさかんに数字や数値を並べたてたが
肝機能の数値以外は
みんな忘れてしまったよ
一日も早く消費人間になりたいものさ
目だけパチパチ
その目だって老眼だから女はみんな美人に見える
口でパクパク息をして
歯もなくなっているから万事楽になる
社会資本を喰いつぶすのが唯一の道楽
耳が遠くなるから
どんな批判も反批判も気にしないですむ
ひとの悪口だけ云っていればいいのだもの
そのためにはレトリックを磨こう
詩は青春の文学だなんて後進国の嘘っ八だ
目がかすみ
耳が遠くなり
口からヨダレがたれてこなかったら
詩は生まれない
詩の懐胎は消費人間の特権だ
文明のストックを喰いつぶせ
第二次世界大戦前夜
フランスがナチス・ドイツと手を組んで
ソビエイト・ロシアを打倒するプログラムまで組んだのは
文明のストックのせいだ
ニッポンには消費する文明のストックがないのだから
消費人間にはやりきれない
労働は悪だ
全能なる神はおのれが全能でないことも知りつくしているはずである

労働が善なるもの
というのは稲作民族の思想である
労働なき社会がヨーロッパ的遊牧民族の夢なら
ぼくらの夢はまさに
逆夢さ

労働は悪である
勤勉は悪そのものである
こんどの世界大戦は
アルゼンチン・タンゴにのって
百万ペソの紙幣が乱舞する
南半球でやっておくれ


※『現代詩文庫111 続々・田村隆一詩集』(思潮社、1993年)


私もかく老いたいものである。
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by Fujii-Warabi | 2008-03-05 22:04 | 詩人・芸術家の紹介

今年もよろしく。

新年となりましたね。
毎日寒いですが、よく寝ているお陰か風邪をひかずにすんでいます。
最近オクタビオ・パスや晩年の田村隆一の詩をぼちぼち読んでいるのですが、年も改まりましたしここは軽やかな詩からはじめようと思います。
飛び飛びのブログではありますが、今年もよろしくお願いします。
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ちょっと坊や
                  吉原幸子

ちょっと坊や
あたしなんだかけだるいの
この車を海まで走らせてくれない?

ちょっと坊や
あたしハダカで泳ぎたいの
むこう向いてお目々をつぶっててくれない?

ちょっと坊や
あたしお陽さまがまぶしいの
あなたの顔で影をつくってくれない?

坊やきれいね 海のような眼をしているわ
しなやかなお魚みたいだわ

ちょっと坊や
あたしビールでも飲みたいの
グラスになみなみついでくれない?

ちょっと坊や
あたしなんだか淋しいの
膝の上で髪をなでててくれない?

ちょっと坊や
やっとデートの時間だわ
あの人のうちまで送ってくれない?


※『樹たち・猫たち・こどもたち』(思潮社、1986年)
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by Fujii-Warabi | 2008-01-05 15:26 | 詩人・芸術家の紹介

ポール・エリュアールに     瀧口修造

    1

 天使よ、この海岸では透明な悪魔が薔薇を抱いている。 薔薇の頭髪の薔薇色は悪魔の奇蹟。 珊瑚のダイナモに倚りかかりおまえの立っているのは砂浜である。 神が貝殻に隠れたまうとき破風に悪魔の薔薇色の影がある。 それは正午である。

    2

 やさしい鳥が窓に衝突する。 それは愛人の窓である。 暗黒の真珠貝は法典である。 墜落した小鳥は愛人の手に還る。 蝸牛を忘れた処女は完全な太陽を残して死ぬ。 舞踏靴は星のようにめぐる。


※『瀧口修造の詩的実験1927~1937』より

******************************

ポール・エリュアールという名を知ったのは実はこの詩に出会ったからだった。瀧口の刺激の強すぎる詩の中ではこの詩は短く読みやすかった。1章は特に好きで、私にはキリコの原風景のようにはっきりとした映像が見える。しかしなんとキザで魅力的な悪魔なのだろう! 薔薇を抱え、薔薇色の頭髪をして、真っ昼間から海岸に立っているのだ。天使のいる昼を乗っ取り、勝利の微笑を浮かべている美しい悪魔が浮かんでくる。
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by Fujii-Warabi | 2007-10-16 21:19 | 詩人・芸術家の紹介

ただ一つのイマージュとして                      ポール・エリュアール

                            (安東次男訳)
         1

ぼくは昏(くら)い宝ものを隠している
未知の巣
森の心、灼ける火矢(ひや)の
眠り
ぼくをつつむ
夜の地平、
ぼくは頭を真っ先にしてゆく、
あたらしい秘密で
映像(イマージュ)たちの誕生にあいさつする。

         2

病人たちの枕もとに置かれたラヴァンド
その市松模様、用心深い乾いた種族たちが
祭日を変える かれらの心を締めつける、
むらがる悪魔の手が掛布の上に置かれる。

手のこんだ刑だ 猿たちのいる 嘲りで充満した枝
友情(ラミチエ) 半欠け(ラ・モワチエ) 母親旗(ラ・メール・エ・ラ・バニエール)
人は竿を敗北に差し出す
年とった猿たちは真っ昼間の神経を持っている。

消えたランプ ベテルのランプが
一つの額の曲り角に現れる
と 鈴生(な)りの頭をつけた木
くっついた双生児(ふたご) 念入りに髪をととのえた血が現われる

かれらはどんどん成長する。

         3

樹液たちの花束 風が馬乗りになる真紅の火
被さる烟(けむり) 世界を攻略する軍隊
空気でできた拷問の泡 現存
地球上でいちばん高い額への執着。

         4

獲物を狙う甲冑 黒衣をつけた香りが輝く
樹木たちは巴旦杏(アマンド)でできた風景の帽子をかむる
すべての風景のゆりかごである風景の。散らばる鍵たちと骰子(さいころ)たち
不安の平野たち 白大理石の山脈(やまなみ)
野の灯し火 恥じらいと嵐
火にささげられた不測の身振り
溺死者たちから海を隔てる流れたち
これらすべての不可解な謎。

あざみの花が城をつくる
あざみの花は風の階段を昇る
そして種子たちは死の先頭に立つ。
光る窓硝子の漆黒の星たちは
かれらの恋人たちに全てを約束する。
装う他の者たちは
鉛のような秩序を支える。

唖になった 人間の不幸
その顔は夜の明け初めだ
牢獄のように開く、
その眼は切られた顔だ
そして指は 算え計り
捉え 説得することに役立つ
指は人間を縛ることを知っている。

公衆の廃墟がもつ
ばらばらの感動
水を割った情熱、
稲妻の恐怖に吊された粉飾
この鉛色の牧場では 岩がはねる
すてきなこまごまとした家具たちに飾られた
ひとつの墓がここに終るために、
のろまな淫蕩の上の一枚の絹の被布(かずき)が
それからまた唯一撃で背中に打ち込まれた
一つの斧が 終るために。

眠りの盆地で
沈黙は子供たちを起す
これらは鼓膜をつんざく宿命の音だ
色たちの 埃にまみれた死
白痴
最初の怠け者
そして不眠は機械的に寝返りを打つ
耳 鉄かぶとのように頭の重くなる葦
気むずかしい葦 濃霧の中に忘れられた敵
そして底のない沈黙の井戸
それは名指しもせずに自然をくつがえす、
微笑する罠を張る
それとも怖れさせる不在を……、
それは唇たちの一切の鏡をこわす。

海の只中にいるように 柔かな腕の中で
波たちは好天に帆をかけて走る
そして血は全てに導く
そこは立像のない場所
漕ぎ手のない 黒いテントのない
虹色にかがやく むきだしの場所だ、
光のお気に入りの
迷い子になった花という花たちが
大胆な妖精たちを隠す と
無関心の宝石が一つ生まれる
すべての心に合わせて
笑いを彫った宝石
子供たちが大人たちの遊びをやめさせる
不思議な家。

希望のまわりに
平静(やすらぎ)がつくる空白の
この純粋な喪失。

         5

理解された入口
待っている入口
一人の女囚
それとも誰もいない。
破れた奔流と
砂の舟が
葉を落ちさせる。

光と孤独。

ここ ぼくらの瞼を開けるために
灰だけが動く。

         6

フクロウ カラス ハゲタカ
それ以外の鳥をぼくは信じない
いちばん重い道は首を吊った
すべての塔が見晴らしだ、星たちと戯れる、
影は窮屈になる、荒らされ、粉々になる
太陽の樹々は烟の樹皮をもつ。

窓硝子が脱皮する。ぼくの力はぼくを翻弄し
つまずかせる。遠くに家畜の罠がある
それから小径たちの磁石 罠を避けるための策略。

むろん子供たちは共犯だ
手を隠して彼らは冠毛と羽根を消す
九つの笑いを餌(えさ)とした無邪気(あどけなさ)
怖れさせる鋏の不透明な震え
夜はかつて何ものも見なかった 夜は新鮮な空気を呼吸する

すべての接吻が岸を発見する。

         7

孤独な男よ くちばしを何処へやった
おまえの翼は何を目覚めさせる
丸々と肥った手 有無を云わさぬ力
それを蔽う猛禽の魔法
茨の廃墟
それと汲めども尽きぬすばらしい手をもつ卵
指がゼロのしるしをつくること
それとも滝たちの鏡板か? 孤独な男よ 水が手をさし伸べている
遠くには雪が そしてそのすすり泣きが、
夜は色あせ 大地は虚脱している 孤独な男よ。

         8

きみは ぼくの家にいる。ぼくは ぼくの家にいるのか?
ぼくは ぼくの家で
ちょっとした見物(みもの)など起こらないように
必要なだけの場所を確保する。
他所は鎖だな――環(わ)がいつも息づく
眠っている者たち
路を無視して
張りわたされたかれらの胸のアーチ
ふと耳に入る ゆきあたりばったりにノックする音 それとも理由のない叫び声
橋が息づく
すると接吻が反射たちに似てくる。

光の庭に
かれらの光の表面に
目は閉じている
搖籠たち――まぶた――この昏(くら)い色たち
藁でできた鐘 このはじける火花たち、
オアシスを隠す小さな隠し場たちに
砂があいさつをする。
宇宙もなく裸足で歩いてくる忘却が
全裸になる――空――。

星たちが夜と入れ替わった
すると 一切の夜明けである星たちだけだ
眠りがもつすべての季節の 誕生
結ばれる未知の手たちがつくる 貌、
明るいあるいは閉じられた 尻の重いあるいは身軽に先頭をゆく
ぼんやりとした形(フォルム)たちを 生き生きとさせるために
また 額を星たちにもたせて
眠る あるいは目覚める ために
取り替えられた生たち この一切の発見。

         9

雪の反抗
だが闇の一撃でじき打ち倒される、
忘却を死者たちに近づけ
大地を青ざめさせる絶好の時だ。
花咲くかわいい女 微笑する弱い女
新鮮なこめかみをもった水晶の娘たちが
激流のリズムにつれて
光を誘惑する 水に分け前をやるために。

墜ちる陽の光 流動する夜明け

彼女たちの接吻が目にとまらなくなるとき
彼女たちは獅子たちの口の中へ眠りにゆく。

         10

おまえの饑えをたべろ
漆喰(しっくい)が剥げ落ち 眠りの香気が
酔い心地を麻痺させる
この卵の中に入れ。
気の早い獣たち
透明な翼をもった朝の獣たちが
水の上を気取って歩く
さんご色の狼が女騎士のような茨(とげ)を誘惑する
島々にかむさる豊かな髪が
小鳥たちの房を蔽いなおす、
ナイチンゲールのようなイチゴの実が、湯気を立てるおのれの血を歌う
すると 目をまわした蠅たちは
星と氷塊と貝殻たちによって穴を穿たれた
一つの夜を夢みる。

重く 空が流れる けわしく
反射のない死者たちの空が。

         11

静かな水の中の根である反射
女騎士のような丘々
彼女らのロープの下で
不幸は己れの主人に話しかける
つんぼは家畜の群の怒りをもつ
ブナの小枝の束でつくった鞭が
忍従の外見(デコール)を見守るとき
小鳥たちは夜からとび発(た)つ
予備のシャンソンを積んで、
嵐の葡萄畑から
一羽のけたたましい雄鶏が噴き出る
収穫(とりいれ)は終った
楽譜台のうえに額(ひたい)が横たえられる
死者たちの鏡の上に寒さが横顔を置くように、
そして二つの相似のあいだに生まれる
眠りの 重い難破。

         12

通路の眺めがたちまち思想を外(そ)らす
一つの暗部が太る 自分の宇宙を探す
そして進行の方向へ
水平に墜ちる。

緑が街の肩を愛撫する
夕べが色硝子の中へ火を流しこむ
それはお祭りのときの
アルコールの扇だ。
鉛色の錯乱に口で吊された
一つの美味い顔 とその願い、その征服、
根気のいい いつもはじめての接吻であろうとする
生き生きとした口

生がのぞいて見える通路。

         13

ぼくは苦悩の地下室たちから
恐怖ののろのろとした曲線たちから 這い出る
そして一つの羽根の井戸に墜ちる、
閉じられた鏡の中に
思いがけなく
ぼくはきみらを見つける 罌粟(けし)たち
きみらは果実のように美しい
ずっしりと重い、おおぼくの主人たち
きみらは生きるための翼が要(い)る
それともぼくの夢が。

幼年は自分の家から出てゆこうとしない
宿題で顔を赤らめるために
生に値いするために、
一切の色をもつ遊びといっしょに、
丸坊主にされたノートたち 酸っぱい筆入れたち
一つの掌が閉じる 押しつけられる
すると子供の掌は
蛙のようになる。

だが ぐにゃぐにゃの
横柄な 粉っぽい奴は
つまずき 起き上がり 身体をゆする
赤むけの かわいい 奇妙な奴、
すばらしい正面(フアサード)と大きな血統台帳を備えて一つの宮殿が
奴にあいさつする 迎え入れそしてみちびく、
宮殿はつぎつぎと扉を開け、城砦を侮辱する、
引かれた 微笑のカーテンだ
三重の内部が
皺の数で計られたりすることがないように。

最短距離を走るトカゲが
一切の取越苦労を吹っとばす、
斧が振われ
一羽の小鳥を解放する
奇襲の羽搏き
杜はほんのすこしの間死ぬる。

赤毛の女たちの心棒 きらめきはじける外装
そして一切の地下の植物たちに対する この侮蔑
それは毒を祝福するために 熱を尊敬するために在る、
泉たちは影で飾られる
肉体は獲物をわかつ
だが肉体の青春(はる)は独房に閉じこめられる。

罌粟(けし)よ 献身せよ
種子たちのふらふらになった旅路のために。

         14

庭園たちの襲撃に
四季は同時に至るところに現われる
冬に替る夏の情熱
そして他の二つの季節の愛撫
追憶たちは羽根たちのように
樹々は空を壊した
露で台なしにされた美しい樫の木
小鳥たちの生 あるいは羽根たちの生
そして 微笑する怖れをもった
たわいもない この羽根飾り
とおしゃべりな孤独。


※『エリュアール詩集』(思潮社、1969年)、詩集「愛すなわち詩」(1929年)より                                
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by Fujii-Warabi | 2007-10-03 15:40 | 詩人・芸術家の紹介

金時鐘のことば

たけむらびと君より

金時鐘『原野の詩』 扉ことば

「詩はぜいたくだ」とは、小説を書く友人、O氏の警句である。費やされる時間の割りには、造られる量が作品的に小さすぎるというのだ。指摘を待つまでもなく、それこそ得手勝手に、割りの合わないことをくり返してきたこととはなっている。そこで考えるのだが、果たして“詩”は書くことで尽きることなのだろうか? 書いたものなど、つまるところ詩の在りようのうちのひとかけらにすぎないもののように思えるのだが、どうだろう。
 もちろん書かれない文学は存在しない。しかし書かれない詩は、詩を生きる行為として存在すると思うのだ。この書かれない詩を生きているさまざまな人たちによって、世の多くの活力はもたらされている。詩が言語でしかない知性たちに、虚実を打ち鳴らして立ちはだかっているのはこの閉ざされた暗喩である。それは“詩”が併せもつ他者の生であると言ってもよいであろう。人はそれぞれ自分の詩を生きているのであり、詩人はたまさか、ことばによる詩を選んだものにすぎない。その「ことば」に依らない詩を生きている多くの人たちのつかえたことばを、だからこそ詩人には自分のことばに重ね合わす責務が栄光ともなって負わされているのだ。私の詩がぜいたくなまでに時をむさぼってばかりいるのも、この無口な他者の喩に通底する喩を、己れのことばとして対置できないでいることのもたつきである。ひねりだすことばに窮しているのではなく、すでに在ることばをかかえきれないでいるもどかしさなのだ。
 身の毛もよだつあのおぞましい記憶の「光州制圧」は、この五月で満三年を刻む。時は経ったのに、いつまでもすぐそこですくい取れないことばがくすぶっている。冷めて燐光となる時を、私はただ自己の詩にかかえて執念く待っているのだ。

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素晴らしいですね。 私ももやもやとこんな風なことを思っていたりするのですが、これだけしっかり書かれていると爽快ですね。魂がふるえます。
「あるがままの状態に自足したりあきらめたりせず、打ちすごしていることがらが気がかりで、見すごされているものごとに眼差しを注げる人なら、その人は資質として詩人だ。実際見すごされ打ちすごされているものごとのなかにこそ、本当はそうであってはならない大事なことがらがひそんでいる。人権や歴史認識などの問題も、そのような見すごされているもののうちのものだ。出来上がった権威や行き渡っている定義を鵜呑みにするようでは、まず己の批評は芽生えてこない。だからこそ書けるから詩人ではないのだ。そのように行きとおそうとする意志力のなかにこそ、私たちが生きるべき詩はあるのである。」(金時鐘「日本の詩への、私のラブコール」、『境界の詩』藤原書店、2005年)
だから、「ことば」に依る詩人は日常においてもめいっぱい詩を生きなくてはならない。人々が詩人になるだけで革命は起こりうると私は思う。
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by Fujii-Warabi | 2007-06-01 11:21 | 詩人・芸術家の紹介

佐川亜紀さんの詩のなかでもこの詩が好きです。

   人参畑で耳鳴り
                   佐川亜紀

スーパーで
ビニール袋にきっちり入れられた
マネキンの腕のような
マルスオレンジの人参
時の裂け目から
一本落ちて転がる

人参畑で耳鳴り
人参ふむなよ
あれは誰の声
人参畑のそばをデモ
人参みたいにまっ赤になって
Nが成田で死んでから十五年
Sが抗議自殺して二十三年
Hが直撃されて十六年
強制収用をこばみ続けたYが死んで十九年
農家の息子の警官も傷つき死んだ

人参ふむなよ
兵役・開拓・空港
「三度目の赤紙だ」
人参ふむなよ
肉じゃが煮くずすなよ
私は飯炊き女に来たんじゃない
あなただって男爵じゃないでしょう
って現闘の男に言ってやればよかったのに
言葉のみこんで
和菓子みたいにほほえんで
もっと煮くずした

人参ふむなよ
飛行機の音がゴオーと
彼らは何のために死んだのだろう
という問がゴオーと
耳切ったゴッホの肖像画
耳切ってもやまない耳鳴り
耳あっても聞けない耳鳴り
なくした土の耳

緑の息をしないコンクリート畑
人参ふむなよ
人間ふむなよ
一本落ちて転がり
ゴロゴロと
耳の奥の骨のように
ゴロゴロと



『佐川亜紀詩集 魂のダイバー』(潮流出版社、1993年刊)
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by Fujii-Warabi | 2007-05-06 12:57 | 詩人・芸術家の紹介