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外国の海へとひらく窓

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友人の送ってくれた写真に、フレームの色を合わせてペイントしてみました。
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by Fujii-Warabi | 2016-04-05 23:11

わが愛しのブリュッセル(2)

マンチェスターから一日でブリュッセルまで列車で向かったので着いたときにはテンション最高潮!
というわけで、外食しない私もディナーとワインで(ひとり)乾杯!と行きたくて、店を探すもまわりは観光地ではなく良さそうなお店がない・・・。それでも、中東のレストランを見つけ、普段なら躊躇するかもしれないところ、扉をグイッと押した。
何がよいのか読めぬ言語のメニューを見てもわからない。周りは近所のアラブ人らしき人ばかり。ブルカを被った女性にまじまじと見つめられる。東洋人の女性一人で入ってくるのがめずらしいのだろうか?

仕方なく店長におすすめ料理をお願いすることにした。飲み物は酒! がないので、渋々ズブリットという聞いたことのないソフトドリンクを注文。
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あれれ、スプライト?! まぁいいや。
私が残念そうな顔をするからか、店長がコーディアルを垂らしてワイン気分を演出してくれました。(彼は片言の英語を話す。私と五分五分なのでいい会話になります。) 

これが前菜。
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そしてメイン。これにでっかいパンが2枚。ポテトも天こ盛り!
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大食い大会気分でがっついてみたのですが、どうやっても無理で店員さんに「ごめんね」と言うと、食べかけのパンは片付け、引出しから新たなるパン2枚をつけてお弁当ボックスに入れてくれたのでした。
ひぇーっと思った。正直。食べ過ぎで気分が悪かったし、宿に冷蔵庫がなかったから。
でも、次の日2食分になり助かりました。そして、胃を壊し、次のベルリンではこれが一因で災いに遭い、プラハでなんとか治った、というほど酷いことになったのでした。

だけど、店員さん店長さん、中東の方々はフレンドリーで好きでしたよ。
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by Fujii-Warabi | 2015-07-21 20:34

デリー、昨年

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 去年の手帳を見ていると、去年の今日は北アイルランドのデリーにいたらしい。南のスライゴーからバスで前日に移動したのだが、デリーに着くとかなり寒かったのを覚えている。バス停から1キロ以上離れたホステルを予約していて、そこへの行き方がわからず通行人のおじさんに道を訊くも、訛りがきつくて理解できずに困った。「遠いからタクシーを呼んだ方がいい」と言ってくれたことだけは聴き取ることができたが、安い旅をしているためやはり歩きでいくことに。
 次は郵便局のお兄さんに道を訊いてだいぶわかった。しかしまたタクシーを勧められた。そう、私は25キロのでっかいトランクを引いていたからだ。

 歩いてゆくと、そのうちにひどい坂に出くわす。延々と続く坂道に辟易。
デリーは大きな街ではない。町中は川のある低湿地、住宅は丘の方に立ち並ぶ。ホステルは町を登った住宅街の中にあった。

 デリーは侵略と抵抗など様々なドラマが繰り広げられた歴史の町だ。それはもしかしたら、二つの丘陵とその間の川・低地という表情豊かな地形に由来するのかもしれないと思った。



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by Fujii-Warabi | 2014-08-09 10:34

お詫び

なぜかこのブログにログインすると、PCがフリーズするので、ついブログから遠のいてしまっております。

コメントもすぐに返せず申し訳ないです。
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by FUJII-Warabi | 2013-03-11 15:39

舞うキリスト

I finished the collage today as the homework of the poetry workshop on last Saturday.

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 「舞うキリスト」     わらび


気温の逆転
クリスマス後の世界
そこがあれのはじめ浮かびはじめた場所

  吹いてゐる
    こんなよる

水銀の泡に埋もれた
夜の沈殿水族館
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by Fujii-Warabi | 2013-01-25 17:50

今年もよろしくお願いします。

少し遅れましたが、
新年、あけましておめでとうございます。
本年もひきつづきよろしくお願いいたします。

さて、元旦に引いたおみくじは中吉。
気になったのは、 旅行 控えるのが吉
探物 手間取る 
でも、 願事 叶ふきざし見ゆる 迷わぬが良い

旅行が願いの私はどうしたらよいか、
毎日が探物なのに、手間取るのなら、「人生の花咲く春も近い」一年にはなるまい、
などと考え込んで、

結論として、もう一度引く!

ネットで引いたら、大吉でした。
旅は吉、盗難には注意、 でも、失物は男子が見つけてくれる、
とのこと。   (男子の方々、よろしく!)

めでたしめでたし。 いい一年にしよう。
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by Fujii-Warabi | 2012-01-13 01:17

映画『ダダッ子貫ちゃん』上映会の案内

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皆さん、来てね☆
上映後に交流しましょう!

P.S. 監督・竹村正人氏の創る上映会のビラは毎度違うので、面白い。
しかも、けっこうちょいちょいとやってしまう感じ。
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by Fujii-Warabi | 2011-07-18 13:19

『愛する人を所有するということ』

 愛する人に見いだされた新たな魅力は、自分の観念世界の引き出しにはなかった、互いの存在の境遇と状況的文脈の交錯が際立たせたものである。この構造的文脈によってうながされた愛する意識の変容は、少なくとも新たに創出された意識の昂ぶりとふるまいの刷新を通じて、愛する者の存在に活気と躍動をもたらす。そればかりではない。愛する者は、相手の存在によってみずからの存在が昂揚せられる関係そのものに、ある種の驚きと感動と幸福をおぼえることができる。他者との結びつきが自分の存在を輝かせることそれ自体によって、愛する者の存在はまたひときわ輝くのである。じつは、ことの「なりゆき」が幸福なものであるなら、同じことは相手にもおきる。まさにこうして、愛する者が活き活きと躍動する存在を示すことによって、相手の側も、自分との交わりがその存在の輝きを創出したことに驚きと感動と幸福をおぼえ、その存在を昂揚させるのである。
 それは、愛する者と相手との「関係」が生み出す存在の振動と輝きであり、いずれの当事者の存在にも還元できない「あいだ」の「なりゆき」が創造する、存在と活気の躍動にほかならない。そのとき愛は、次々と立ち現れる他者の魅力に結びつこうとする態度というよりも、互いの交わりを通じてお互いの存在の振動と輝きを生みだすことそれ自体を追求する関わりとなっている。そのつどの発見の内容が互いの性質である構図がなくなるわけではないが、そこには、自分の固定的な基準にもとづいて相手の性質を愛する構図がないだけでなく、互いがそなえる性質を愛の主原因とする構図もない。ここでの互いの存在の輝きは、いずれかの当事者の性質に帰することのできない、愛する者と相手の相互作用が創出するものなのである。
 そこには、存在の美しさがあると言ってもいい。それは、ブーバーが描きだしたあの「関係」の輝きにほかならない※。愛する者たちは、互いに「働きかけ、助け、癒し、はぐくみ、高め、救うことができる」のであり、そうして「生きた現実となる」。この意味での美は、決して互いの存在を輝かせる愛の結びつきと矛盾などしない。たしかに、相手の存在に固定的にそなわった性質として美を求める態度は、その美に寄与しない交わりを敬遠するだろうし、また交わりそのものが生みだす存在の美を看過するだろう。しかし、互いの交わりによって相互的に存在が輝くことを求める者たちは、まさに愛の交わりが創出する美を求め、享受する者たちなのである。美と愛の結びつきが不可分である理由は、まさにここにある。

         浅見克彦『愛する人を所有するということ』(青弓社、2001年)P124、125


※ 彼(マルティン・ブーバー)が真の実在を生きる者としたのは、「一切と一切との相互性の流れのなかに極めがたく引き入れられて生きている」存在である。それは、「関係のなかに立っている」者と言ってもいい。みずからに対する能動的統御の構えを棚あげし、愛の結びつきを織りなす状況的文脈の交錯に身をゆだねる者の姿は、まさにこの関係を生きる存在に他ならない。愛の「なりゆき」を生きる者は、お互いの意志と行為に還元しえない「相互性」を引きうける。「愛は我と汝のあいだに存在するのである」。こうした者にとって、みずから関与する愛の結びつきの原因となることは思いもよらぬことだろう。「関係」を生きる者は、「因果律のうちに引き入れられてもいなければ、因果律によって染色されてもいない相互作用のなかに立つ」のだから。ブーバーは、そこに人間の真の実在を見た。どれほど主体性を掘り崩すものだとしても、愛する者を連れ去る「あいだ」の「なりゆき」こそが、愛する者の「真実の充実した現在」なのである。「真に生きられるあらゆる現実は、出会いである」

      同書 P85、86  引用箇所はマルティン・ブーバー『我と汝・対話』(みすず書房)より



**************

 人は絶えず変化する。それゆえ、安定的な関係など存在しない。永遠に変わらぬ愛などもありえない。
 でも、人が「自己を求める」内的な運動(movement)を続ける限り、美を瞬間のなかに発散し続けるはずだ。そして、相手とのあいだに「愛」と呼ばれる創造的な一瞬が生みだされてゆくだろう。目の前のその一瞬を大切に重ねてゆくことでしか永遠は見えてこない。
 広大な海に隔てられた他者とお互いのかけがえなさに気づくとき、海が割れ道ができるような感じがする。やっと相手の姿が見えるのだ。この世でそれ以上に美しい瞬間があるだろうか。
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by Fujii-Warabi | 2011-04-20 20:33

ポエアク vol.2

4/2(土)19:00~ スタジオ・ワルハラにて
ポエアク[poetry&action] vol.2~詩と行為が交わる為の場所
が開催されました。

今回はたまたま女性の出演者ばかり。
私は詩の朗読で出演させてもらうことになっていたので、
『紫陽』24号の「esperanza~期を待ち/受胎する」と
オクタビオ・パスの「マイスーナ(わらび語訳朗読バージョン)」を読むことに。
観客は30名弱だったでしょうか。
マイクを持って、20分枠で読むのは初めてのこと。
でも、意外と緊張せずにすみました。
場や聴衆の雰囲気を感じながら、余白を持たせて読むという
自分なりのテーマもそれなりクリアできたと思います。
パフォーマンスも関心はあるけれど、
やはりエクリチュール人間なので、うちで練った言葉を公共の場で率直に伝えるのが一番合っているように思いました。
聴衆の皆さんが、すごく集中してくれていたのが、本当に嬉しかったです。
詩をこれほどまでに聴いて感じてくださる方がいるというのは励みになります。

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三刀月ユキさん(朗読)、
倉田めばさん(朗読&パフォーマンス)、
小休憩を挟んで
主催者の亜子米さんと大橋範子さん(朗読&パフォーマンス)、
小林三悠(パフォーマンス)、
小野のん子さん(パフォーマンス)
と続きました。

三刀月さんの朗読はお芝居のように全身で語る感じ、
めばさんはパフォーマンスの合間に詩を朗読されていたけれど、
パフォーマンスと詩の関係が興味深かった。
切ないけれどどこかユーモアのある独特の世界。

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亜子米さんは朗読、大橋さんはパフォーマンスというコラボだったが、
詩と行為のズレがよかった。水の入ったゴミ袋を水が滴る程度にカッターで切る、大橋さんが
かっこよかった。
みゆさん、こんなダンスをする人がいるだろうか?
大気の妖精のように軽かった。いわゆる「美」から随分外れているのに、美しい。
小野のん子さん、まさに詩だった。
始まりに気づかないくらいそっと静かで、白く、神聖だった。
有機と無機、人工と自然、動きと余白、様々なテーマが見え、
考えさせられた。
この方のパフォーマンスは生き方そのもの。
私の目指す所はここだと思った。

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by Fujii-Warabi | 2011-04-05 12:26

原発反対 追記

この期に及んで、「脱原発」を掲げない政党・候補者は次の選挙で落としましょう。

日本は落選運動は流行らないようですが、
選択肢がない現在の選挙事情で、消去法的に選ぶのも有効なはずですし、
酷い候補者に対して落選運動のデモをするのもいいと思います。

そして、これまで原発を推進してきた政治家・タレント・電力会社に
きちんと責任を取らせることも大事です。
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by Fujii-Warabi | 2011-03-15 18:08