先日の詩の朗読会

寒い。まだ2月と変わらない寒さ。
しかしどうも自律神経の調子が乱れている。春が近いということを体は知っているのだろう。

先日、友人・むらびと君宅で詩の朗読・鑑賞会があった。
(この記事を書くのが遅すぎて、先にコメントをくださっている皆さんごめんなさい。でも、コメントがあったから、この記事があるのです…。)
私が読んだ詩は、田村隆一。
田村のエッセイには凹んだときに助けられた。晩年の詩はエッセイのような調子なのだが、私はちょっと格好をつけた「荒地」時代より好きなのだ。


 1999
                  田村隆一

蟻の話をどこかで聞いた
蟻は働き者の象徴だと思いこんでいたのに
それがまったく違うのだ

たとえば
餌をせっせと運んでいるのは
十匹のうち
たったの一匹
あとの九匹は前後左右をウロウロしているだけ
さも忙しそうに
活力にあふれて
怠けているんだって

ぼくも蟻になりたくなった
九匹の蟻の仲間に入って
ときどき
観念的な叫び声をあげればいい

それにもっと驚くべきことは
蟻の睡眠時間である

たった二時間だけ目をさましていて
たっぷり二十二時間眠りこけている
「1999」

という詩集が出してみたい
もしそれまでに生きていられたら
たっぷり十八年間 ぼくは

蟻のように眠っていて
黙々と餌を運びつづける一匹の蟻の
精神異常の診断書を書いてみたい

今日の仕事はこれで終り
では
おやすみ


   夢の中の逆夢
                          田村隆一

業種別にすると
病院はサービス部門である
ベッド数も人口比にするとアメリカの四倍もあるという
家にはベッドの数が不足しているからか
ベッドがたりないくせに
ダイニングルームとキッチンだけが大きくなった
水屋がある茶室まであるくせに
夫は三畳の小部屋の小学生用の机でエズラ・パウンドの詩集に読みふけっている
夫の職業は大学の英文学の教師で
飼っていたウサギもさすがにあきれて
ウサギはウサギ小屋から逃亡してしまった
そこで英語の先生は
音楽とフランス文学に凝っている愛嬢のために
エドワード・リアの『ノンセンスの贈物』を訳してやった

 ベージング町のおじいさん
 びっくりするほど落ちついて
 馬を一頭買い込んだ
 そこで夢中で駆けだして
 故郷のひとから逃げだした

ニッポンのカマクラ町のおじいさんも
去年の秋はサービス業種である病院に逃げこんで
ウイスキーのかわりに点滴のサービスを受けたっけ
となりの部屋では飲み友だちのキツネ博士が点滴を受けていて
二人で溲瓶をぶらさげてトイレットからもどってくると
六十円の紙コップのコーヒーを飲みながら
来るべき高齢化社会の人口構成と国際経済の分析と展望について語りあったっけ
「六十五歳までを生産人口とすると……」
キツネの経済学博士がおごそかに発言すると
ぼくは思わずつぶやいた
「じゃ、六十五歳以上の人間は消費人口ということになるけど、消費するだけが生きがいというわけか。なるほど、目だけパチパチさせて、息を呼吸しているだけで、社会資本を消費するわけだからな」
キツネ博士はさかんに数字や数値を並べたてたが
肝機能の数値以外は
みんな忘れてしまったよ
一日も早く消費人間になりたいものさ
目だけパチパチ
その目だって老眼だから女はみんな美人に見える
口でパクパク息をして
歯もなくなっているから万事楽になる
社会資本を喰いつぶすのが唯一の道楽
耳が遠くなるから
どんな批判も反批判も気にしないですむ
ひとの悪口だけ云っていればいいのだもの
そのためにはレトリックを磨こう
詩は青春の文学だなんて後進国の嘘っ八だ
目がかすみ
耳が遠くなり
口からヨダレがたれてこなかったら
詩は生まれない
詩の懐胎は消費人間の特権だ
文明のストックを喰いつぶせ
第二次世界大戦前夜
フランスがナチス・ドイツと手を組んで
ソビエイト・ロシアを打倒するプログラムまで組んだのは
文明のストックのせいだ
ニッポンには消費する文明のストックがないのだから
消費人間にはやりきれない
労働は悪だ
全能なる神はおのれが全能でないことも知りつくしているはずである

労働が善なるもの
というのは稲作民族の思想である
労働なき社会がヨーロッパ的遊牧民族の夢なら
ぼくらの夢はまさに
逆夢さ

労働は悪である
勤勉は悪そのものである
こんどの世界大戦は
アルゼンチン・タンゴにのって
百万ペソの紙幣が乱舞する
南半球でやっておくれ


※『現代詩文庫111 続々・田村隆一詩集』(思潮社、1993年)


私もかく老いたいものである。
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by Fujii-Warabi | 2008-03-05 22:04 | 詩人・芸術家の紹介
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