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吉原幸子「背景」を鑑賞して

    背景
                    吉原 幸子

夕暮れの海辺を 散歩する
堤防に ふたり よりかかると
贈られたばかりのポラロイド・カメラの
赤いシャッターを もうひとりが押す

空はまだ グレイブルーに
横縞の淡い雲を なびかせてゐたのに
印画紙に浮かびあがるふたつの顔の 背景は
真夜中のやうに暗い

小さな磯料理店で
コーヒーを飲んでゐるうち
海はすっかり暮れ終わったが
ふと見ると 写真の中で空がすこし明らんでゐる
みつめてゐるとわからない速度だけれど
また見ると またすこし明らんでゐる
まるで 一枚の紙のなかで
夜が明けはなたれてゆくやうに!

 *

思い立って あくる朝
海の夜明けを待ち構へる
(ふとんの中から ガラス越しに)
空いっぱいの印画紙を
グレイブルーに淡紅色を混ぜながら
ゆっくりと現像してゆく
見えない大きな手を 眺める

わたしは宗教を信じない
けれど あの瞬間
たしかにあの薄明の中にゐたふたりを
潮風の匂ひや海ネコの声といっしょに
〈世界〉といふ印画紙に焼き付けてくれた
カメラでない方の 大きな手を
たとえば 神 と呼んでみてもいい
わたしたちの明日に 幸や不幸の
どんな風景がのこされてゐるのかを
きっと その神も知らないだろから

そしてむろん
神 のファインダーからのぞけば
あのときのふたりの想ひも 体温も
海と空との ささやかな背景
に過ぎなかったのだらうが


※『ブラックバードを見た日』(思潮社、1986年)

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吉原さんの詩をブログに掲載し、横書きにしてしまうと全く違う詩のように感じられ申し訳ない気持ちになる。
私は詩の収められた詩集『ブラックバードを見た日』が大好きで、特にこの詩は彼女のエッセンスが詰まった作品だと思う。色のイメージが効果的に使われ、爽やかなのに少し物悲しい。
また、ポラロイド・カメラという現代文明により生まれた機器に対して「神」という存在を語るといった内容がこの詩人らしい。そして、最後の連には人間中心でない詩人の世界観が窺える。
by Fujii-Warabi | 2007-06-27 15:51 | 芸術鑑賞
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