キャス・ウォーカー「過去」

   過去              
                  キャス・ウォーカー
                  白石かずこ 訳


過去が死んだなんて誰にも云わせないことにしよう

過去とはわたしたち そして内なるもののすべて

部族たちの記憶に出没したもの

わたしは知る このつかのまの今を
このたまさかの現在というものも
わたしのすべてではなく 何者か長い年月につくられた 過去の豊饒なのだと

こんや この郊外居住者地区の中に わたしもいて座る
電気ストーブの前 かんたんな椅子にすわり
炎の赤に暖められ わたしは眠りに墜ちる

わたしは遠のいていく
そこは繁みの中の キャンプの火
わたしたちのホントの種族がいて、地べたにすわっている
わたしのまわりには壁がなく
わたしの上には星たちがいっぱい
高い まわりを囲んでる木たちは風の中で
ゆれ動き 彼ら木たちの音楽を奏でる

わたしたちにやってくる夜のやわらかな叫び
そこでわたしたちは一体となる すべての
古(いにしえ)からの大自然に生きるものと
それを知るものも 知らないものも
わたしたちは この風景に属しているのだ
今 み捨てられてはいるものの

深い椅子 電気ストーブ
それは昨日 始まったばかりの
だが千も万もの森のキャンプの火たち
それこそは わたしの血なのだ

誰もわたしに云ったりはしないで
過去は行ってしまったなどと
現在(いま)とは 時間の中のほんの小さな一部
わたしをおおいかぶすほどの
すべての歴史の年月の中の
ほんの ちいさな ひときれ

※思潮社『現代詩 ラ・メール』創刊号(1983年7月)



この詩の作者、キャス・ウォーカーはオーストラリアのアボリジニだそうだ。
最近、この詩をたまたま目にして、現代人はこういう考えや感覚を失ってしまったから滅びつつあるのだろうと思った。自分たちは自分たちの意志や努力で存在するのではない。地球や自然や動植物が存在し、その中に人間やその中のわたしが存在する。
人間は地球を支配した気になっているが、それは支配欲が強いためで、他の種族より知的であるからでもないし、もちろん人間のために地球や命が存在するからでもない。
現代人は「すべての歴史の年月」を消費しているから一見豊かに見えるだけで、そのツケはこれからいやというほど払わされるだろう。しかも、それは消費している本人ではなく、いつも<弱者>や<マイノリティー>に回されるのだ。
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by Fujii-Warabi | 2007-02-28 14:40 | 芸術鑑賞
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