脱走

 干からびゆくひらきうなぎは強張った躯をぬたくらせ灼爛のアスファルトの坂道を下る。〈煮えたぎる太陽が真上に来る時、銀のまな板の上で首を切り落とされる運命だった。〉うなぎはバケツを倒して逃げたスケープゴート。追っ手の罪人に気づかれる前に池へ、池へ必死で戻らねば…。アスファルトの上で躯の水分はみるみる奪われてゆく。厳格な太陽によって。「早く! 早く!」 焦っても硬まりゆく躯。まな板の処刑よりはマシなのか…。うなぎが何をしたというのだ。
 陛下の従順な下僕、罪人はようやくバケツがカラなのに気がついた。血相を変え、冷や汗を流し、坂道を転がるように追ってくる。「女王陛下からやっとのことで免罪符を戴いたのに! あのこしゃくなうなぎめ!! 命を懸けてでもあのうなぎを捕らえねば、メンツも立たないし、いい笑い者だ!」 男は全力疾走、元の池に辿り着き、シャツも脱がずに飛び込んだ。                                (正午まであとわずか)
 うなぎは路肩の溝へ入り、躯に充分な潤いを戻し膨らんだ。もう彼は惨めなうなぎの干物などではない。水に帰ればこちらのもの。うなぎは元の池を目指してゆうゆうと泳ぎ始めた。

 満月は潮を操り、うなぎを呼ぶ。生に水を与えるのは月の役目。白いほのかな光を浴びながら、うなぎは月をほっと見つめた。



※紫陽の会『紫陽』9号(2006年5月20日)掲載
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by Fujii-Warabi | 2006-11-01 16:46 | 藤井わらびの詩
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