「シャヒード、100の命」展によせて

わたしが「わたし」ではなく「35」
ならばイヤだ
わたしが「わたし」ではなく「11428」
でもイヤだ

この社会のありとあらゆる人々が、物が
数量化され
個体を亡くしてゆく

身分証明証が今月あたり
発行されるという
ただ生を管理するために
ただの数字にするために

100の命
“100”
観るまでは大きな数字ではなかった
けれども
百人には
百人のストーリーがあり
百人のドラマがあり
百の顔を持つ
その家族・親族・友人は何十人にも
何百人にものぼるのだ

重すぎる
一つの命には何百もの
何万もの命が関わっている

9・11のみの偏ったストーリー
うまく仕立てられたドラマ
(お涙ちょうだいもの?)

「イマジン」
ジョン・レノンの歌がよく歌われた
流された
その人の生きた時代から少しも進歩していない証拠だろうか

でも
イマジン
想像を働かせるより他にないのだ
情報操作されたなかでは
難しいことかもしれない

次には
シンク
考えてほしい
百人の命を、顔を
殺されなければ・・・、ということを

遺品はそのきっかけとなろう

                                (二〇〇三年八月二九日)



※「シャヒード、100の命」展は、2003年10月7日~19日大阪人権博物館リバティ大阪にて開催されました。URL: http://www.shaheed.jp
この詩はリンク集にあります。

※紫陽の会『紫陽』2号(2004年1月20日)、風歌『畑からのあいさつ』9号(2003.11.1)掲載作品
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by Fujii-Warabi | 2006-10-23 10:34 | 藤井わらびの詩
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