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ジャン・ジュネ『泥棒日記』より

 扉を押し開くと同時に、扉は、わたしの内部において、群がる濃密な湯気を、押しのける。わたしは中に入ってゆく。わたしはそれから三十分のあいだ、もしわたしが一人ならば、平常の世界の逆である一つの世界の中で活動することになる。心臓が激しく動悸を打つ。わたしの手は決して震えることはない。恐怖は一瞬といえどもわたしから去らない。わたしはその住居の所有者のことを別に思うわけではないが、わたしのもろもろの動作が、彼を知ってゆくにつれて、彼をわたしに描き出すのである。わたしは所有者(プロプリエテ)[大邸宅]を侵害するときに、所有(プロプリエテ)という観念の中に浸るのだ。わたしは不在の所有者を現出させる。彼はわたしの面前にではなく、わたしの周囲に生きている。それはわたしが呼吸し、わたしの中に入り込み、わたしの肺をふくらませる一つの流動体なのだ。

 店の外にいるかぎりは、わたしは自分が盗むだろうということを信てはいない。しかし、一歩中に入るやいなや、わたしは、自分がそこを出るときには必ず宝を―指輪か、手錠を―身につけて出るだろうということを疑いえなくなる。この確信は、わたしの身体を不動にしたままで、頸すじから踵へと伝わってゆく長い戦慄によって表される。それはわたしの両眼で終熄(しゅうそく)し、眼の縁を乾かす。わたしの各細胞は、平静さの実体そのものであるところの一つの波を、一つの波状運動を伝達し合うかのようである。わたしは、踵から頸すじにいたるわたしの一つ一つの細胞の意識となる。わたしはこの波と同行するのだ。
 
                      ジャン・ジュネ/朝吹三吉訳『泥棒日記』(新潮文庫)より


 わたしは泥棒ではないけれど、この感覚はある。特に芸術に触れる時と特別な場へゆく時に。美的イメージや価値観を盗んでいるのだろうか。

by Fujii-Warabi | 2014-08-30 10:29 | 詩人・芸術家の紹介
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