壁紙を変えてみた。といっても、春の恒例行事。

  花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
    ふり行くものは わが身なりけり


桜が散ると切ない
という感じもするけれど、私は次の新緑の季節のほうが好きなので、「あ、葉っぱが出てきた」と思うのだ。
いつもそう。卒業式にも泣いたことがない。
今の状態に満足できないので、未来はもうちょっと努力したら、満足できる状態を引き寄せられるという気になるのだ。
体は旅に向かないぶん、心はいつもタロットの「愚か者 THE FOOL」のように、明日へと旅してゆく。
春は新たな旅立ちのとき。わくわくする。


それから、オスカー・ワイルドを想い出す。
彼の詩は、春の歌だ。
日夏耿之介訳の「ワイルド詩集」もいいのだが、いかんせん古いので、
この先人の美しい訳を参考にしつつ、訳詩にまた挑戦してみようと思う。

春。
メキシコの俳優ガエル・ガルシア・ベルナル初監督の映画『太陽のかけら』を昨日、観た。
編集やカメラワークなどまだ改良の余地があるかもしれないとは思ったが、
おそらく観安さを考慮して、こういう作りになったのだろう。
それはさておき、内容が良かった。
使用人と主人によって階級差を表すのは文学・映画においての常套手段だが、崩壊する楽園の主は意外に純朴な人物、先住民系の使用人は癖のある魅力的な人物を配置し、それが興味深かった。
使用人の名はアダン。人間の祖・アダムがここでも楽園から追放されて、苦役を負っている。だが、楽園崩壊を陰で笑い、ノマド的に渡り歩いて行く。最後に主役クリストバルが楽園、恋人、おそらく妹もすべて失い、茫然自失の状態で立ちつくす姿がギャッツビーのようだ。
監督はイギリスで本格的に演劇を学んでいるので、こういう文学的な深さを「大衆映画」にも含ませられ、しかも自分が主役を張ることもできるのだろう。
有名なかっこいい俳優が資本主義批判を恋愛ドラマとして見やすく仕立て、世界に発信することの大切さを想う。
監督としての旅立ちに乾杯。
レンタル・ビデオ屋のカスタマーズ・レビューは酷評しているが、もっとこういう視点から批評されてもいい作品と言えよう。
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by Fujii-Warabi | 2010-04-22 15:29 | 身辺雑記
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